moku

ニュー・シネマ・パラダイスのmokuのレビュー・感想・評価

4.0
4回目
2018/11/11

3回目
2018/02/26

以下、完全版のネタバレ含みます。


通常版と完全版の両方を観て:

●編集次第で主題さえ変化している。

エレナの後半のエピソードを含まないか(通常版)、はたまた含むか(完全版)は大きい。
…エレナとの出来事が過去の青春の1エピソードとして語られるか(通常版)、現在により食い込んでくるか(完全版)。

通常版ではアルフレッドとトトの親子にも似た友情、映画への愛、人生と愛の肯定…が作品のテーマになっている。
かつてカットされていたキスシーンが次々と映し出されるラストは、「人生とは愛だ」と言われているかのよう。

アルフレッドは最初の約束通り、フィルムを持っていてくれたのだ。子供だった頃自分が何よりも愛したのは映画だった。目を輝かせて食い入るように見た子供時代。その時にはなかった感情が現在のトトの中で巡る。人生の優しさと苦さ。


しかし編集次第でこのラストシーンでさえも、見る解釈が全く変わってくる。
前者(通常版)においては「映画や人生、愛全般の肯定」に重きが当たる。
しかし後者(完全版)においては、トトがエレナという人個人を想起する意味合いが大きくなる。最後、スクリーンを色々な思いを巡らせながら見つめるトト。人が一人の人を愛するとはどういうことか。



●愛か成功か

高校の時の世界史の先生が授業をするとき、いつも決まってこう言った。
「歴史に“もし”はないけれど…」
現在には起こった事の続きしか存在しないのだ。
だから現実には存在しない、そうではなかった時のことをあれこれ言っても仕方がない。
それでも、もし、こうではなかったら…

思わずもしこの時こうだったら…と考える度に、先の言葉を思い出しては、人においても同じ事が言えるものだなと噛みしめることになるのだ。これから書く事もそのような話になる。


5時のバスで来るはずのエレナを、トトは映画館で待っていた。
時間になってもエレナは来ない。
業を煮やしたトトは映写室をアルフレッドに預かってもらい、エレナの家へ車を走らせる。
エレナは出て来ず、映写室に戻ってアルフレッドに訊ねたがエレナは来ていないという。

あの時の全てはほんの少しのすれ違いだった。
それに気がつかないままお互いにお互いが相手を待ち続け、そして忘れようとした。

もしあの時トトがエレナと会えていたら…つまりもしエレナと結ばれていたら、穏やかに幸せに暮らせたかもしれない。そうすればトトの映画監督としての成功はなかっただろう。

しかし二人は会えなかった。
トトはアルフレッドの言葉に従い、故郷を出た。
そして30年帰って来なかった。そして映画監督として大成功した。
久しぶりに故郷に帰ると、周りからは敬語で話され、サインを求められる。
皆が自分を誇りに思い、尊敬し、持ち上げる。


しかし、トトの母はいう。
「電話に出ると毎回違う女の人が出るのよ」
「だけど、トトのことを心から愛している声を一度も聞いた事がない」

成功し色々なものに囲まれていても、トトが本当に幸せではないことが母には分かるのだ。


しかし「いつも大事な何かが欠けている」、その飢えて乾いた感覚こそが、彼が作品を作る力となった。
彼自身はいつも満たされなかった。
しかし彼の作品は大勢の人を魅了する。




アルフレッドはおそらく、トトの才能を早くから見抜いていた。
だからこそ村を出ていくように強く言った。ここに戻ってくるな、とも。
だが、それから後もトトがエレナのことだけを心の底で愛し、忘れる事なく過ごしていたこと、そこまではアルフレッドも想像しえなかったのではないだろうか。

人が人を愛することのどうしようもなさ、素晴らしさ。
全力で肯定したい。



(1つ1つのシーンがどれ欠けても足りないってくらい最高、大好きです)

(ナポリのサッカーくじ当てたおじさん個人的に好きだった。最後、映画館が壊された時の表情… 母と一緒に見たのだけどその時代を生きた人にしか分からないっていうことがあるんだろうねえって母が言ってて、まさにその通りだと思った。。)

(大人になったサルヴァトーレとエレナがこのあとどうなるか…は色々想像できそうな気もするけどどうなんだろうか。。)


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2回目
2017/3/2
moku

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