Keiko

レベッカのKeikoのネタバレレビュー・内容・結末

レベッカ(1940年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

前妻のレベッカがタイトルロールであるのに対し、主人公の「私」には名前がない。これこそが本作の全てだ。才色兼備で誰もが羨む完璧な妻レベッカの影に隠れて、「私」は自分の存在を見失っていく。

しかし、本作の真のキーパーソンはダンヴァース夫人である。レベッカに愛情を持って接していた彼女は、「私」の存在を決して認めない。
最初はダンヴァース夫人って、ミュージカル版『グランドホテル』で言うところのラファエラみたいなものかと思っていた。実際似ている、けど違う。ラファエラはグルーシンスカヤの付き人兼親友(そして若干の同性愛)だったけど、ダンヴァース夫人はあくまで使用人として、低い立場からレベッカを見上げる形で崇拝しているように見える。

だけど、ダンヴァース夫人が見ていたレベッカって、本物のレベッカではないよね。彼女を愛するあまり、自分の中で神格化してしまって、欠点からは目を逸らし続けていた。さらに、レベッカが死んだことで記憶の美化はさらに加速して、「レベッカ」という名の虚像を作り上げてしまったんじゃないかないかな。
それは、レベッカ本人が演じていた理想の妻ともまったく違う、新しい存在だ。そんなものに、生身の人間が太刀打ちできるわけがない。嫁いだのが「私」でなく、レベッカ以上に完璧な美女だったとしても、ダンヴァース夫人はその女を認めなかったはずだ。
(むしろ、「私」が素朴な一般庶民でよかったんじゃないかとすら思う。彼女なら見下すことができる。一般論でレベッカを超える女が現れていたら、もっと早い段階でダンヴァース夫人に殺されていたかもしれない)

ちなみに、マキシムが「私」に惹かれたのは、そんな素朴で素直な所だよね。レベッカとは真逆だからこそ、本当の愛を知ることができたんだろうな。
Keiko

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