キットカットガール

去年マリエンバートでのキットカットガールのネタバレレビュー・内容・結末

去年マリエンバートで(1961年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

自分用のメモ:
 彼らは、足を持たないゴーストのように時空間を超える存在。そして、同じ会話を繰り返す(更新されない)。そこに留まっている。ここには昼も夜もない。話し声の音量がどこにいても均一。すぐさまナレーションに交代する。会話というよりもダイアローグの読み合い(詩の朗読)という印象。冒頭のモノローグ、声の優位性はなく、パイプオルガンの音楽が前景化する。なめらかに、浮遊するように移動するカメラは、やはり幽霊のようだ。ぐんぐんと邸宅の中を進んでいく。『シャイニング』の映像を思い出した。突然、時が止まったように静止する人々。この敷地内からは逃れられない。邸宅内の絵画には、この邸宅の庭が描かれている。つまり、状況をメタ的にも捉えられる。事実、彼らは往々にして、鏡越しに映されてもいる為、囚われの身とも解釈できる。「そこ」が、彼らの世界の全て。そうなると、その外側(空間的広がり)が隠蔽される。たとえ状況をメタ的に捉えようとしても、3次元にいる時、なかなか4次元(高次元)を想像出来ない。