かーくんとしょー

海猿 ウミザルのかーくんとしょーのネタバレレビュー・内容・結末

海猿 ウミザル(2004年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

この作品を語る上で避けて通れないのは、トム・クルーズ主演「トップガン」との比較だ。
「海猿」は海保、「トップガン」は空軍の訓練生のストーリーで、訓練期間中にバディを失った主人公が、それまで敵対するライバルだったクールな男と助け合い、無事一人前と認められるまで成長する話。要はオマージュなのだ。

その上で、本作の元ネタからの変更点はどこにあるか。
まず、「トップガン」よりも「海猿」の方が、訓練生たちが仲間で群れている感は強い。
トム・クルーズは仲間と群れるまでもない天才肌の役であり、彼が年上の女教官に夢中で背伸びしている頃、一方の伊藤英明扮する仙崎は、能力は高いが子どもっぽさがある未熟なタイプで、共に成長していけるような同系の女性を好きになっていく。

この違いは、のちの展開にも大きく影響する。
まずバディが亡くなってしまう場面だが、「トップガン」では主人公が「俺様がいながら守ってやれなかった」感を抱き、主人公一人が、あまりに重い乗り越えるべき死の〈責任〉を負う。
一方の「海猿」では、伊藤淳史扮する仙崎のダメダメバディは一人で無茶をして死んでしまう。そこには仙崎や他の仲間が負うべき責任はなく、彼らが乗り越えるべきは死の〈悲しみ〉なのだ。

「トップガン」ではその後、アイスマンと呼ばれ唯一主人公と比肩するスペックの男と助け合って敵を打ち破る。天才は仲間との絆の重要性に気付くという〈義務〉を果たすことで、かつてのバディの死の〈責任〉から解放され、ついに完全無欠なアメリカンヒーローになるのである。
「海猿」ではその後、やはり仙崎は唯一比肩する男とバディを組むが、ここで訓練中に事故が発生し、二人は海底に取り残されてしまう。バディを捨てて一人助かるか共に死ぬかの選択を迫られるが、間一髪で他の仲間たちが助けに来てくれる。仙崎一人が何か成長したわけではなく、仲間たち全員が「(今度は)仲間と命を助け合うことができた」と自己肯定する機会を得て、かつての仲間の死の〈悲しみ〉を乗り越えてゆく。

こう比べてみて、例えば後者が浅くて前者が深い作品などということは全くない。そこにあるのは文化の違いである。

「トップガン」は極めてアメリカ的なヒーローの誕生譚であり、力が飛び抜けている分より大きな責任を背負わされ、さらにそれをも乗り越えてしまう〈選ばれし者〉が描かれる。
戦争に〈勝つ〉ために、そういう圧倒的な強さを必要としているのかもしれない。

一方の「海猿」は、〈守る〉人間になっていく話だから、必ずしも一人の完全無欠なヒーローである必要はない。
重視されるのは規律や思いやりといった連帯感であり、〈絆深きチーム〉こそが優秀なのだ。そして何より、この考え方は日本人の気質と非常にマッチしている。

くどくどと二作品を比較してきた結論としては、「海猿」は「トップガン」のオマージュでありながら、日本人向けに大きく独自の変更を加えた作品だということだ。
「トップガン」に熱狂した日本人たちは、トムが演じたからこそ異国の空軍の格好良さに惚れたのであって、日本人が同じことをしてもダメなのだ。
そうではなく、「トップガン」が完成させた仲間の死を乗り越える成長譚の型を借用しつつ、日本人のために日本人が演じる日本人的精神の映画を新たに作り出した点に、「海猿」の最大の価値と成功の秘密があるといえよう。

written by K.
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