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恋はデジャ・ブのnetfilmsのレビュー・感想・評価

恋はデジャ・ブ(1993年製作の映画)
4.1
 自己中心的で他人に興味がなく、皮肉屋で冷徹な人気気象予報士のフィル・コナーズ(ビル・マーレイ)は、仕事仲間のリタ・ハンソン(アンディ・マクダウェル)やカメラマンのラリー(クリス・エリオット)とともに、1年に1回、毎年2月2日の聖燭節に行われるグラウンドホッグデーを取材するため、田舎町であるペンシルベニア州パンクスタウニーにやって来た。グラウンドホッグデーとはウッドチャックを使った春の訪れを予想する天気占いの行事であり、フィルにとって毎年訪れるこの田舎行事の退屈さは耐え難く、心底苦痛だった。嫌々ながら一日を終えた彼は、都会への帰途、天候の急変により滞在先の宿に再び泊まることにした。ところが翌朝6時にフィルが目を覚ますと、同じ光景が広がっていた。その日はまたしても2月2日のグラウンドホッグデーの1日であった。その日から来る日も来る日も2月2日で永遠に終わらない1日に閉じ込められたフィルは自分の人生の意味を静かに問い質す。

 恋愛においても人生においてもあの時こうしていれば・・・という局面の1つや2つは人間誰しもあるはずで、時には悔やんでも悔やみきれない人生の瞬間が走馬灯のように襲う時があって、その度にイメージの中に囚われ、何度も何度も反芻してしまう。それでも残酷なまでに時計の針は元に戻すことは出来ない。時間だけがこの世で私たちに与えられた唯一平等でかけがえのないものであり、1秒たりとも無駄には出来ないのだけど、日々の生活の中で無為に過ごす時間に私たちの人生は支配されている。当たり前の日常が続けば、人はその一瞬の大切さに気付けない。これは残酷だが同時に人間の真理を突いている。

 神の悪戯なのかそれとも誰かの壮大な策略なのか?最初は全てを疑ってかかっていた主人公も、同じ日が永遠に続くことに気付き、絶望することで初めて前に向かって進むだけだった時間に向き合おうとする。人はみな、退屈な毎日を生き続ける。今日も明日も、もしかしたら明後日も代わり映えのしない人生かもしれず、映画のようなドラマチックな人生を歩もうと思えば、まず自分が一歩動き出すしかない。今という時間の大切さに気付いた時、それは鼻持ちならないエリートだった彼にとって初めて人生の気付きを与える。心底嫌味で、他人のことなどまったく興味もなかった男はその日その時を境に、困っている誰かのために同じ1日を大切に生きようと決意する。人間はみな1人では生きていけない。自分だけの人生だと思っている人生は誰かの手助けなしでは生きられない。それでも人間は自分の人生が惨めで情けないことを、つい誰かのせいにしてしまう。誰かのせいにして、自分自身の足元を見つめることから逃げてしまう。永劫回帰的な人生とはまさに悪夢で、ゲームとは違い悲喜劇そのものだ。喜劇と悲劇とは隣合わせで、まるで神の采配のように誰かの人生の深淵を残酷に見つめる。今日という日を変えることが出来るのは、いつだって自分の心の持ちようなのだから。
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