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2/デュオのotomisanのレビュー・感想・評価

2/デュオ(1997年製作の映画)
4.0
 「例えばだけど、俳優として崖っぷち、人間もワルそでサバサバした風だけど所詮感情丸出し、演じてんのか地金が出まくりなだけなのか分からないみたいなやつ。ついでにヒモ暮らし、切羽詰まって『結婚しよ』とか口走って自己嫌悪んなって勝手に切れまくる、なんてヤツ、欲張りすぎかな。」
 「いるいる。西島っての。同棲相手にほぼDV、相当追い詰めるらしいや。その相手も役者だったけど、ニシを食わすんで廃業しちゃったよ。あのヤナギも調子よく相手に合わせてくんだけどそこ止まりでねー。でも二人とも呼んで地のまんまこいつやらせたら、真に迫って凄くなるかも。」

 というような期待を押し隠して、二人のありのままの日々を撮らせてくれよ的に頼んだものなら、これはドキュメンタリー映画となる。それなら、とドキュメンタリーっぽさを装って西島と柳に、さもぶっちゃけ話なんか語らせて、するとこっちのインタビューの方がよほど演技っぽくなって、崖っぷち人間な二人のよそ行きの表情もあわせてご覧くださいというわけだ。そして出来上がってみればこんな若者像である。

 相手を受け入れて喜ばせセールスにするのに、ヤナギはニシの不実丸出しな正直さは不穏で恐ろし気で近づきたくても受け入れ難くて、とうとう自分が壊れてしまう。そんなヤナギを壊す自分をよく承知のくせにニシは相手が壊れるまで俳優を目指す自分かわいさで狡い自分を惚けまくる。
 しょうがねーなーと思ってみているこちらはバブル景気のおこぼれと余韻にまで乗っかり続けて好き勝手放題、到底ひとさまに悪口をきかす立場にないが、ひとりになったニシの勤め人ぶりも胡散臭くてヤナギの忘れがたい思いとやらも呆れてしまうわけで。
 疑似ドキュメンタリーの次章、ひょっこり舞い戻った家出のヤナギの様子に悲劇の繰り返しを想像すべきかどうか迷ってしまう。

◆参考資料
アーロン・ジェロー著. 無題. 1997.山形国際ドキュメンタリー映画祭 '97への寄稿
https://www.yidff.jp/97/cat107/97c109-1.html
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