2/デュオの作品情報・感想・評価・動画配信

「2/デュオ」に投稿された感想・評価

傑作。今の日本映画に腐るほどある、部屋に従属する若い男女の恋愛映画のプロトタイプを見た感じがした。西島秀俊の「金くれ」素晴らしい。
IMAO

IMAOの感想・評価

4.0
エンディングクレジットに1996年製作とあり、確か引越しする前のユーロスペースで観た覚えがあるので20年以上前に観たことになるのか…やれやれ。アマプラにて再鑑賞。
話は古今東西語られて来たいわゆる「同棲時代」もので、最近だと行定勲監督の『劇場』などと同じジャンルに分類されるだろう。

あるカップルがいる。男は売れない役者。女は洒落たブティックでハウスマヌカン(この言葉も懐かしい)をしている。男は売れないことのストレスを女にぶつけ、女はそのストレスから心が痛めてゆく…というのが大まかなストーリー。
ストーリー的にはよくある話だが、この映画は諏訪敦彦監督の商業デビューでもあり、原点ともいえる映画になっている。一番の特徴はこの後諏訪作品の特徴ともなった「即興演出」が取り入れられたことだろう。これは近作『風の電話』に至るまで、彼の演出の特徴となっている。彼の近著『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために ー制作・教育・批評』(タイトル長い…^^)を読むと、この映画の製作過程が伺えて興味深い。最初はこの映画の準備としてプロットから始まり、数回にわたって脚本を書き直したのだが、どうしてもうまく行かなかったそうだ。撮影期間も迫りプロデューサーと相談したところ、最初のプロットが一番分かりやすかった、ということになり大まかなプロットだけで撮影してみよう、と決断したという。つまり、最初から即興演出をしようとは考えていなかったのだ。そこには諏訪監督自身が感じていた、通常の映画撮影のあり方への疑問があったという。映画(映像)を一度でも撮影したことがある人ならわかるだろうが、通常の映画では、脚本に書かれたセリフと動きをどう映像化するか?ということに精力が注がれる。そして演技だけでなく、映像を美的に撮るために、様々な制約が生まれてくる。あるシーンを撮影するために、カメラワークを優先するのか?それとも演技を優先するのか?そこはその演出の考え方にもよるのだが、画的な動きや美しさのために、役者はカメラとも「共演」したり、時にはカメラワークのために演技が犠牲になることがある。だが、諏訪監督はそこに疑問を持っていたという。役者がもっと自由に動ける方が良いのではないか?そうした考え方と、脚本という「縛り」を取り払った時に自然と「即興」という方法論が出て来たのだという。なので、この映画ではセリフは決めずにシーンごとの大まかなアウトラインを決め、役者がどう動きたいのかを役者自身に決めさせて、カメラはその動きを捉える(撮影は故・たむらまさき)という方法論となった。

今観直してみると、柳愛里と西島秀俊の二人がどうシーンを作っていったか?というドキュメンタリーにも見える。実際この映画は「山形国際ドキュメンタリー映画祭」でも流れたそうで、フィクションというよりは「カメラの前に起こっていることを感じる」映画だともいえる。もちろんあらゆる実写映画にはそういう一面があると思うし、その当時でも決して新しい方法ではなかった。例えば勝新太郎が監督をする時には、ほとんど即興だったという。だがこの『2/デュオ』が作られた頃、世界の映画界で似たような作品がたくさん現れ、この『2/デュオ』はそうした作品の先駆けともなったし、その先鋭性は古びていないと思う。
ただ、こうした映画を撮る時に一番の難しさは役者の力量にかなり左右される、ということだろう。その意味でこの映画での柳愛里の存在感は大きい。近作『風の電話』でも、モトーラ世理奈の才能はあの映画を大きく支えたと思う。もちろん、その才能を見抜いた諏訪監督の才能あってのことだとは思うが…
白

白の感想・評価

5.0
私たちにはいつも、どこに行っても居場所がない。だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。
ヲ

ヲの感想・評価

-
ずっと泣いてた、彼のことを大好きという彼女に私は何もしてあげられないと感じてさらに泣いた。渡辺真起子はなんて素晴らしい俳優なのだろうか。即興だからこそできたあの最後のケイの聞き間違いが私の全てを持っていった。史上最高の胸の苦しさ。撮影監督のたむらまさきさんの画が良すぎる。
真子

真子の感想・評価

3.6
インプロヴィゼーション
まだまだ見てない作品が多いけど
役者の演技と素の自分
その境界線が曖昧な作品
っていうのにやっぱり
凄い興味があるし、
これ見て更に湧いた。
Nao

Naoの感想・評価

4.5
「結婚しよう」の一言から同棲していた男女が崩れていく。結婚を身近に感じてるからか見てて何だか辛い。俳優志望の彼氏という点からも見られる二面性の構造。内と外。開けられた窓。割られた鏡。
y

yの感想・評価

3.0
「リアルさ」を求めるほど殆どリアルとは程遠い作為的な白々しさに帰着してしまっているように思える。その作為的な白々しさがリアルだというのなら話は別だが、とはいえフィクションに抗うフィクションはそれ自体が結局は事前に前提されたフィクションの体制内で歯向かっているだけなのでどうも不毛に思えてしまう。「リアルさ」を捉えるためには虚構の外には現実があるはずだからそれに肉薄すれば良いといった単純なものではないだろう。むしろそうすればするほど先立つ虚構の構造に捉えられ続け、その悪循環の中で露悪的な堂々巡りをすることにもなる。そもそもが白々しい接客のシーンはその過剰な作為性が上手く行っているように思えた。

このレビューはネタバレを含みます

終始死にたくなる
味わったことがある人には感じる鼻がツンとする空気
嫌いな自分を壊すには、そんな自分を好きでいる相手を壊すしか他がない、そんな青臭い恋愛は卒業したい
なんだよこれっていう人とは付き合えないな、って思います
果糖

果糖の感想・評価

4.0
映画を理由と免罪符に怒鳴り散らす、大きな音をだす。これはただのハラスメントでしかないようにみえるし、事件でなければ物語が紡がれない限界ばかりがクローズアップされているようで発話に全く興味が持てずじまいだった。女友達と西島秀俊の喫茶店の会話なんて本当にひどい。ルックは最高なので全く退屈しないのが面白かった。
実験映画だ。実験大成功してるけど。「結婚しようか」なんて暴力的な一言で壊れていく男女を描く。恋愛とカタストロフィ。

全編が役者たちの即興演技で描かれる。大まかなシナリオはあるけど、それも役者の演技によってそれがどんどん書き換えられていく。つまり、脚本が半分役者に委ねられている。いや、「役」に委ねられていると言った方が良いのかもしれない。

途中途中で俳優たちへのインタビュー映像が挟まるっていう斬新な構成なんだけど、それに答える彼らの言葉は「俳優」と「役」の狭間で揺れてるように感じられた。ちょっと苦手なやり口だったけど、そのどっちつかずな受け答えは確かに映画を深く、面白くしてる。

脚本なんかない。台詞なんかない。ケイとユウがあの狭い部屋で、ただ生活をしてるだけ。それでいて、これ以上なく激しい。苦しい。痛々しい。こんな誠実な恋愛映画が今まであったかな。最近流行りの「気怠い雰囲気」だけの映画だと思ってたよ、俺を殴ってくれ。

まだ無名だった頃の西島秀俊が出てるんだけど、既に名優だ。いくら即興演技って言われてても、こんなぶっ飛んだ演技はできなくない?今は落ち着いたおっさんに見えるけど、本当は頭おかしい人なんかな。是非またクズ男を演じてほしいところ。
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