龕裡

ゲド戦記の龕裡のネタバレレビュー・内容・結末

ゲド戦記(2006年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

酷評されてるのを知ってたからビクビクしてみたけど、自分は結構この映画好きだった

 他者や物が嫌いならそれから離れたらいいけど、嫌いなものが自分自身なら離れることができず、絶えず付き纏われる。裏を返せば、自分自身を嫌う事は、世界全てを嫌う事であり、生そのものを嫌うことでもある。
 アレンもこの病を抱える者だけど、病状が更に進んだ者としてクモがでてくる。クモは人間味がないキャラで、一種のカリスマ性や神性すら感じる。しかし人間味がないのは自分自身を嫌い、それを封じ込めたからで、事実終盤の老婆になったクモは、テルーの光に当てられ「人間味を、自分自身を賢明に消し去ろうとしている」という最も下卑た人間味が露呈してしまい、神性は消え去り哀れにすら見える。
 宮崎駿作品のような強い絵や世界観は無いし、快感原則に沿った筋書きでもないけど、こういう構造を物語に組み込めるのは、なにか力強いものを感じる

 あと会話周りの雰囲気も結構いい感じで、特にハイタカとクモのかつての旧友感が滅茶苦茶良くて、クモの「挨拶のつもりか?殊勝なことだ」のシーンとかはかなり好き。
 アクションが冒頭と終盤だけなのも、ダレ場多めなのも、会話かっこいいのも、宮崎駿というより押井守の系譜と考えると納得がいく。実際吾郎監督の好きな映画は『ビューティフルドリーマー』らしいし、押井守も『ゲド戦記』には割と肯定的に見える。

 最後にマイナスなことを書くと、壊れかけた世界を表現する為にわざとやってるらしいけど背景美術の色彩が変で、特に日中の影の色がどぎつい青なのが中々馴染めなかったし、父殺しも映画の中では大した意味もないのに監督が監督だけに想起しうる意味がデカ過ぎてノイズでしかなかったと思う
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