青雨

パーフェクト ワールドの青雨のレビュー・感想・評価

パーフェクト ワールド(1993年製作の映画)
4.0
クリント・イーストウッドの監督作品を観るときに、僕がいつも関心を寄せているのは、『ダーティハリー』のハリー・キャラハンのように撃ち放たれた弾丸の軌跡が、どこへ向かうのかということにある。

また、それはいつでも、自分自身を撃ち抜く。

そうしたクリント・イーストウッドの作風に、強い普遍性があるように思うのは、たとえば、僕たちが映画について何かを語ろうとするときにも、ある意味ではハリー・キャラハンのように、自分自身に向けた拳銃の引き金を引いていることになるだろう点にある。

本当に大切な何かを言おうとするときには、原理的にそのような軌跡を描かざるを得ない。それは、批判などという取り澄ましたものではなく。



アラスカの風景を写した1枚の写真。

ブッチ(ケビン・コスナー)が大切にポケットにしまっていたその写真は、年月と共に彼のものではななくなり、いつしか僕のポケットに入っていたものになっている。この映画を観て、ずいぶん年月が経ったあとに、そのように僕自身にもアラスカの写真があることに気づくことになった。

映画がもつ象徴性とはそのようなものであり、またそうした手触りが残らなければ、映画体験としては嘘になるように思う。

育った環境ゆえに犯罪者となったものの、本質的には思慮深く自然な優しさを持つブッチが、全身を逆立てるように激昂するシーン。「息子に愛してると言え」と迫るセリフは、僕が決して認めまいと封印していたものだった。

また、歯止めが効かなくなったその激情は、ブッチ自身の過去の投影である、少年フィリップにしか止められないことを、クリント・イーストウッドの才能と哀しみは知っていた。父親を象徴する今の自分が、かつて少年だった自分に撃たれるという形でしか、それは終わることができない。

パーフェクト・ワールドとは、そのように永遠にかなえられることのない幻影であり、象徴的に父殺しをすることでしか見ることのできない、虹のようなものだと映画は告げている。
青雨

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