カラン

ヨーロッパ一九五一年のカランのレビュー・感想・評価

ヨーロッパ一九五一年(1952年製作の映画)
4.5


我が子に対する罪悪感から、世界に愛を、貧しき者に施しを、孤独な者に慰めを、仕事もしないが子供だけはたくさんいる、適当でふしだらなダメ女(ジュリエット・マシーナ)には仕事とくだらない情事の手伝いを。イングリッド・バーグマン演じる女が、罪悪感から他者への愛に目覚めれば目覚めるほど、世界から乖離し、助けた者に裏切られ、医者や警察に隔離処置を受ける。この狂気の扱い、この孤独の描出は当時のフランスには受けたんだろうな。サルトルが時代を謳歌して、ブランショが『文学空間』書いたり、フーコーとかドゥルーズが躍動する直前だからね。イタリアではダメだったらしい。



ロッセリーリ②

トリアーの「黄金の心」三部作golden heart trilogyや、『ドッグヴィル』のような展開になる。加速度的に孤独を深めるイングリッド・バーグマンを、ロッセリーリはさらにさらにと追い込み、車のライトや映画館のスクリーンの光にあわせてクロースアップするのだけど、お決まりな感じがしないでもないが、なかなかかっこいい。

特に教会のところ。暗い雨のローマで、ポップなラッパの音からオルガンに切り替えて、階段を上っていくのを横から撮る。入り口にたたずむバーグマンが何かを悟る。寄せて、顔を上げていくと、祭壇の光とオーバーラップする。教会から出て喧騒から逃れるように暗く人気のない階段を下りていく。怪しい路地には咳き込む娼婦が座り込んでいる。階段の上と下に天国と地獄が見えるようだ。ロッセリーリって、やっぱりリアリズムを超えている。見えないものが見えている。

孤独なのは、私の愛の深さを世界が知らないことだが、どうでもいいか。病める者、貧しき者が私に涙してくれるから。旦那も、親も、皆んなどうでもいい。精神病院の格子のはまった窓辺で涙するところは、キェシロフスキの『白の愛』には一歩及ばずかな。『白の愛』は刑務所の格子と娑婆の世界だけど、さらに途方もない距離を超えて涙が届いてる。


音楽はいつもだけど、弟さんのレンツォさん。パチパチ👏
カラン

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