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そして人生はつづくのJeffreyのレビュー・感想・評価

そして人生はつづく(1992年製作の映画)
3.8
「そして人生はつづく」

冒頭、高速の料金所。父と息子。地震の被害に見舞われた町…瓦礫の山、立ち尽くす人、木々の中、赤子の泣き声。被災地に向かう監督と息子…本作はジグザグ道三部作の二部目でキアロスタミが実体験を映画化した作風で、前回の友達の…に出演した少年の安否を確かめに向かう…本作‬‪は90年にイラン地震で崩壊した村に監督が足を運ぶ。皮肉にも地震が少年の村を壊滅した事により本作が製作された。クネクネした道に丘を登る車。すれ違いに乗車させる少年二人や重いタンクを車の屋根に載せたりと人の心を映すキアロの徹底した精神が垣間見れる。個人的な思いだが非常に裏切られた作品で‬もある。本作は1992年にアッパス・キアロスタミ監督が続編として作ったもので、今回2Kニューマスターを使用したBDで久々に鑑賞したが傑作。

前作の「友達のうちはどこ?」の少年たちを探す監督親子の旅、大地震が起きたイランで見つけたのは、生きることへの希望と言うのをテーマに描かれた本作は、実際に起こった地震で苦しみながら生きようとする人々や子供たちの眼差しをとらえたもので、監督親子の奇妙なロードムービーを描いた独特な1本である。監督役には当時イランの経済長で働いていた男が抜擢されたのも有名な話である。人間のたくましさと生きることへの希望が刻まれている本作は後の7オリーブ林をぬけて」をつなぐ重要作である。本作に限っては、精巧に作り上げられた再現映画であり、監督は想像力と現実の断片を織り上げながら、真実を語って見せている。まさに天才的な手法であると言うしかないだろう。


さて、物語は1990年、大地震がイラン北部を襲った。「友達のうちはどこ?」 (1987)はこの被災地近くで撮影された。あの主人公の少年たちは無事だろうか。地震の5日後、この映画の監督(ファルバッド・ケラドマンド)は息子のプーヤを伴い、撮影が行われたコケール村に車で向かう。車はトンネルを抜け、被災地に近づく。破滅した街で瓦礫の山を片付ける何百と言う人々。道路脇にごろごろと崩れ落ちた岩。だんだんと被害が目のあたりに迫ってくる。道を訊ねながら先に進む父子。被害から生き残った深緑のオリーブの林で、鳥の声にまじり、赤ん坊の泣き声がする。ハンモックで泣いている、手に包帯をした赤ちゃんを監督があやすと小さな手を振る。と、目を覚ましたプーヤが不機嫌に父を呼ぶ。ヘリコプターの音。行く先々で人々が崩れた家を片付けている。

息子は店の残骸を見つけ、金を置き生暖かいコーラを買う。幹線道路にたどり着くとすごい渋滞だ。岩に潰され、ひしゃげた車。渋滞を避け、横道をなんとか着くだろうと強引に進む父親に対し息子は少々不安気味だ。道を訊ねた人のボンベをテントまで運んでやる。あちこちでコケール村の状況を訊ねるが、誰も知らない。中には親戚が16人も死んだと泣く老婆もいる。山脈に何本もの亀裂が入り、生々しく大地震の爪痕を見せつける。コケール出身の人に映画のチラシを見せ、主人公たちの消息を聞くが、コケール村は全滅で彼らの消息は知らないと言う。道を引き返すと、目下に葬式が見える。しかし、目を移すと、死者たちの脇で、被害者たちが森の中で食事をしている。オリーブの林が切れたほんの一瞬、「友達のうちはどこ?」で主人公の少年がノートを抱えて何度も走ったあののジグザグ道が目に飛び込んくる。

命の息吹えがそこかしこに感じられる。途中、「友達のうちはどこ?」で主人公に道を教える老人を演じたルヒさんを拾う。彼は便器を運んでいた。生き残った者には必要なものだと。彼の村に着く。息子は廃墟と化した村を探検する。一方、父親は壁だけ残った家の壁画に地震でヒビが入っているのを見つめる。穴と化した窓の向こうに広がる豊かな自然、羊の群れに鶏の鳴き声。家族を全て失ったと言う老婆が瓦礫の下から絨毯を引っ張り出そうとしている。あれほどの被害の後で、たくましく生き続けられる自然と人間。プーヤは娘を地震で亡くした女性を死んだ人がもし生き返ったら、もっと人生を大切に生きるようになるんだよと慰める。父親は身内が60人死んだが、地震の次の日に結婚式をあげたと言う新婚の男と話をする。ふと見ると、さっきの老婆が絨毯を自力で引き出してしまった。

先に進む父子。プーヤが映画に出ていた緑色の瞳の少年パルヴァネを見つける。彼を拾い、主人公たちのことを聞くが、彼も知らない。監督が地震の話を聞くと、おじさんが死に、今はテント生活をしていると言う。彼の教えでコケール村までもう少しと言う所まで来た。パルヴァネとプーヤはサッカーのワールドカップの話に夢中だ。パルヴァネのテントに着く。監督が泉で皿を洗っている2人の少女に地震の話を聞いていると、息子が走ってきて、テレビのアンテナを立てているから、ここに残ってサッカー観戦したいと頼む。息子を残し、監督はコケール村に向かう。すると、丘の頂上でアンテナを立てている男に出会う。男は親戚が3人死んだが、ワールドカップを見逃せないからねと答える。彼に映画のチラシを見せると、20分ほど前にここを通ったと言うではないか。
慌ててアクセルを踏む監督。子供の2人連れがいた!でも主人公たちではなかった。

その子たちを拾い、主人公たちの消息を訊ねるが、知らないと言う。まだ主人公たちに追いつけるかもしれない。2人の少年をおろすと車はフルスピードで急坂に向かう。荷物を運んでいる男を無視し、エンジンをふかしつづら折の急坂の1つ目をなんとか乗り切る。が、2つ目の坂でエンストを起こす…。監督が外に出てみると、遥か遠くに2人の子供のシルエットが見える。そこへ、さっきの男がやってきて、車を押してくれる。坂を下りながら、エンジンをかける。男は荷物を肩に担ぐと、坂を一歩一歩上っていく。そこへまた監督の車が加速をつけて登ってくる。何とか急坂を登り切り、男を一度追い抜いてから停まり、男を拾ってつづら折りの山道を登っていく…とがっつり説明するとこんな感じで、




この作品の冒頭から非常に引き込まれる。料金所のシーンで始まるのだが、様々な騒々しい音をその後も持続して展開し、例えば高速道路で車が通り過ぎた時に聞こえる音や、虫の音、瓦礫を積む音などである。その後にトンネルに入ったときにタイトルロールが現れるのもすごく意味深である。その後に写し出される瓦礫の山の片付けをしている人々の場面を見る、これは演出ではなく本当に起きてる地震の爪痕なんだなぁと知っている分、非常にドキュメンタリーを見ているかのようになる。そして俺がすごく好きなワンシーンがあるのだが、息子がぬるく置いてあるコカコーラの瓶を買おうとして、誰もいない店先のところにお札を置き、コーラを飲んだ後にぬるいからもうこれ以上飲まないといって捨てているところ、隣にいた車の中の女性が捨てる位なら赤ちゃんに飲ませてあげてといい、哺乳瓶を差し伸べ、そこに子供がコーラを注ぐショットがすごく好きである。監督自身も、実際にこういった瞬間を見たのにインスパイヤされて本作に取り入れたと言っていた。そんで前作の背中が痛いと言っていた少年パルヴァネとの再開の場面は個人的に成長している彼を見れて感動してしまった。本当にきれいな緑色の瞳をしており、彼の笑顔が非常に多い。そしてコケール村へ急ぐ父親がエンストするまでの道のりをずっと見ていくとロングショットで豆粒レベルの車の描写などがすごく地理学的に良い映像を作るなと思う。荒れてる道、砂利道を通るシーンなどがすごく印象的である。
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