あんじょーら

スーパーチューズデー 正義を売った日のあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

ジョージ・クルーニーは出演作のレベル高いと思いますし、演技も上手いと思うのですが、監督作品は見たことが無かったのと、なんと言ってもライアン・ゴズリングが出演している、という事で見ました。ライアン・ゴズリングと言えば個人的な2010年に見た最も衝撃的映画である「ブルー・バレンタイン」の主役であり、スタイリッシュ作品の「ドライブ」の主人公でもあります。なので興味惹かれました。





民主党の予備選挙を戦う知事マイク・モリス(ジョージ・クルーニー)は対立候補であるプルマン候補と厳しい選挙戦を繰り広げています。討論会場の下見に訪れたモリス陣営の選挙参謀主席を勤めるベテランのポール(フィリップ・シーモア・ホフマン)とその補佐であり広報官スティーブン(ライアン・ゴズリング)。2人の補佐によりモリスの支持率は僅かながら対立候補であるプルマンを引き離しています。討論会場ではプルマンの選挙参謀であるダフィー(ポール・ジアマッティ)とのつばぜり合いもありますが、モリスの人柄、弁舌、信念に心酔しているスティーブンは何とかモリスを大統領にしようと選挙戦を戦っています。そんなスティーブンに電話があり、なんと相手はダフィーなのですが・・・というのが冒頭です。




まず、邦題に違和感があるんですが、原題が「The Ides of March」でこのニュアンスもよく分からなかったです。何故か「ジュリアス・シーザー」の台詞のようなんですが、裏切り行為を指すのでしょうか?副題の~正義を売った日~というのもちょっと違う気がします。ネタバレになるので違和感を説明するのは避けますけれど。




映画の出来栄えとして、かなり良かったです。ロンド形式になっていてるのも余韻が楽しめますし、何よりキャスティングが絶妙で素晴らしかったです。ポールにフィリップ・シーモア・ホフマンは最高でしたし、アイダという新聞記者を演じたマリサ・トメイが最高にフィットしていたと思います。この2人は「その土曜日、7時58分」(シドニー・「12人の怒れる男」・ルメット監督作品)でも共演してますがこの作品にも負けない面白さがあります。もちろん主演のライアン・ゴズリングも、ジョージ・クルーニーも良かったです。知らなかったんですがダフィーを演じたポール・ジアマッティも素晴らしかったです。逆にインターンのモリーを演じたエヴァン・レイチェル・ウッドはイマヒトツに感じました。背伸びはしても子供感があまり感じられなかったですし、終盤の決断までの幅を感じられなかったです。が、基本的にはどの方も良かったです。




脚本が面白く、スティーブの成長物語としても面白いですし、選挙戦の様々な事柄とその対処や落としどころ、妥協のと言われても実現のために必要な事を築いていく手法が面白かったです。何を持って信頼に値するのか?とかアイデンティティの崩壊に近い出来事、そして演者ライアン・ゴズリングの顔の見せ方見られ方、最初と最後で同じ人が違って見える、という部分が素晴らしかったです。その効果を最も高める演出であったのが記者アイダを勤めたマリサ・トメイも良かったです。




ある意味今タイムリーな選挙の話しに興味のある方に、ライアン・ゴズリングが、ジョージ・クルーニーが好きな方にオススメ致します。



アテンション・プリーズ!



ちょっとだけネタバレありです。未見の方はご遠慮下さい。













































政治的判断、とはよく言いますが、確かに難しいですよね。結局政策で選んでも、政治とはその場の判断(緊急を要する時含む)をその人である「個人」に任せるという事でもあるんですよね。政策だって全て信認するわけでもないのですが、さらにその人物を考えると、そもそも誰かに決める場合にこの人なら、という判断ではなく、最悪なこの人以外の中で考える、といった感じにならざるを得ないと思うのですが。結局政策では支持出来ないけれど人物としては比較的好ましいという人と、全然支持出来ない人物ではあるが政治的判断時には信頼できそうという人のどちらかを選べといわれても難しいと思いますが、それが選挙なんですよね・・・悩ましいことですが、多分民主主義の手法ってこの悩ましさの上でないと実現できないゆっくりした性急な場合に甚大な被害が出ることを避ける為の、最も被害が少ない政治形態なんでしょうね。独裁も無論問題ありますが、民主主義的な手順を踏んでアドルフ・ヒトラーが出てきたわけですし、考えさせられます。もっと言うともしかして時間を区切った独裁を認める手段とも言えなくも無いような気がします。




スティーブンの、仕事に対する純粋性を善しとするか?理想を善き物と考えるか?またその後に選んだ選択がどうだったのか?非常に考えさせられます。私はスティーブンが理想や現実を受け止めたのではなく、仕事をしている自分が好きだという事なんだと思うのです。逆にポールの方がずっと純粋だったんだと思われます。ある意味妥協の産物である政治の世界にあまり純粋性という観念を持ち出すべきじゃないのかもしれません。玉虫色や妥協という単語には「嫌なイメージ」を感じてしまいますけれど、あくまで「イメージ」や「気分」であって、当たり前ですが妥協や玉虫色にすることが「政治家」の仕事じゃないか?その説明を引き受けるのが「政治家」じゃないのか?とか考えたりします。




スティーブンがモリスに迫る際の最も譲れなかった「性的な嗜好」は政治家にとってどうしても最重要に思えなかったのも考えさせられました。もしかするとどんな「嗜好」があっても政治家としての判断が一流とか、政策の摩り合わせの上手さが天才的な下品な人物、ということもありうるわけですよね?もちろん主権者が選ぶわけですけれど。




そもそも世界は汚れているのであるからその中で俺も手を汚すぜ、というのはどこかヤマシイ部分が自分にも分かっているけど世界のせいにして忘れる事にする、というのと同義な気がしますし、スマートではないですし、受け入れ難く個人的には感じてしまいます。スタイルとして認め難い。そもそも不条理だからこそ、いちいち立ち向かわなければいけないと感じますけれど、言葉にするとかっこよすぎるし、いつも出来るわけではないんですけれどね。




あと、インターンであるモリーの決断も納得し難い感じがしました。同部屋に同じくインターンがいるのも違和感ありましたし、その彼は広報に昇格スティーブンの破局を知っているわけですしね。う~ん。