※リマスター版と同じレビューです。
【考えたこと】
4Kのリバイバルを結構楽しみにしていた。
もう閉店して久しいが、昔、良く通っていた高円寺にある「ニャンキーズ」というカレーの店で森本レオさんを何度か見かけてて、勝手に親近感を覚えていたからということもあるし、それと、坂本龍一さんが、体調が優れないため11月の配信でライブが最後になるとお話していたこともある。坂本龍一さんはこの作品の音楽監督だ。
「王立宇宙軍」は緩い感じで過去と思しきフィクションに時代を設定したSF・宇宙開発物語だが、背景には国家対立もある。
最近読んでいる世界的なリスク・コンサルタント会社の代表で国際政治学者イアン・ブレマー著の「The Power of Crisis」という本に、1985年のレーガン大統領とソ連ゴルバチョフ書記長の対談のエピソードが序論で紹介されている。
レーガンが「もし米国が宇宙人から攻撃を受けたら、われわれを助けてくれますか?」と尋ねると、ゴルバチョフが「もちろんです」と応じた話だ。
もともと、アメリカのスターウォーズ計画やソ連の人権問題で対立が浮き彫りになった会談だったが、実は、オフレコの通訳だけが同席した会談で、こんなユーモア溢れるやり取りがあったのだ。
この話はあとで明らかにされた。
なぜ、宇宙を目指すのか。ケネディの時代は先行するソ連の宇宙開発に対して月に人を送りアメリカの技術力をアピールし、アメリカ人のアイデンティティを鼓舞する目的が理由だったように思う。
この王立宇宙軍もそんなところに背景があるように思う。
だが、シロツグの最期の言葉が、この作品のメッセージだろう。
抑揚を抑えた森本レオさんの声の意味が、ここにはあるように感じる。
先般、Eテレの「アカデミア」という番組で、元京大総長で人類学者の山際壽一さんがゴリラ研究を通じて、なぜ人は争うようになったのか、そして、彼なりの今後どうすることが争いを少なくできるのかという考えをお話ししていた。
この「王立宇宙軍」でシロツグの上官が、「文明が戦争を起こすのではない。戦争が文明を作ったのだ」という、如何にも権威主義者や民族主義者か好みそうな、この言葉自体が、この作品では実は逆説的な意味を持っているのだが、山際壽一さんの言葉はこれを裏付けるようなお話だった。
おおよその内容は以下の通りだが、非常に示唆に富んでいるように思った。
人が争うようになったのは、一説には、僕たちの遠い祖先が道具を使い始めたことが理由とされるが、実際に道具を人に武器として向けたのは約1万年前で、道具を使い始めたのは50万年前であったことから考えると、これを直接的な原因と考えるのは無理がある。
僕たちの祖先は、700万年前に樹上から草原に降りて生活するようになった。
そして、肉食獣から自分たちを守る必然性から集団を形成し、共食や、共同での子育て、声を出すだけから始めた音楽を通じて共感力を高めるようになり、10万年前には言葉が登場することになる。
言葉は、音楽とは異なり、情報を伝達するのが目的で、実はこのことが共感性をはるかに高め、約1万年前に始まった農耕が土地の獲得と維持を最優先させ、本来は他者とつながり共感を得ることが目的だったものが、共感力を内に向かわせ、外のグループとの争いを助長させたのではないのか。
そして、このタイミングで道具が武器としても利用されるようになる。
山際壽一さんは、今僕たちのコミュニケーションは言葉に偏り過ぎていないだろうかと話していた。これを見直して、一緒に食事をする、音楽を演奏する、スポーツをする、ボランティアをするなど身体的なコミュニケーションを増やし、信頼関係を構築することが現在は重要ではないのかというのだ。
国内外の権威主義者との対立は、もっと別の思考を必要とするように思うが、身の回りのSNSを通じた言葉の対立や先鋭化、そして分断を考えると、山際壽一さんの助言には重みがあると思う。
山際壽一さんは、ゴリラ研究を通じてゴリラの言葉らしきものを理解し、一部を身に着け、10年ぶり以上で再会したゴリラと、コミュニケーションを取り親交を確認していた。これは身体的なコミュニケーションだ。ゴリラはあのガタイからは考えにくいが、非常に平和的などうぶつだ。
「宇宙人が攻めてきたら助けます」は、想像力を駆使した、身体的というより、心のコミュニケーションでもあるように思う。
もう一つ踏み込んで僭越ながら言わせてもらえれば、人間に今必要なのは想像力ではないのか。
かつて、レーガンとゴルバチョフがウィットに富んだ会話のようにだ。