Koshii

ファイト・クラブのKoshiiのレビュー・感想・評価

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
3.8
午前10時の映画祭にて。

ずっとこの日を待ってました!
初めてを劇場で捧げることができて大満足です!

本作を知ったのは、Mr.Childrenの楽曲『FIGHT CLUB』より。

本楽曲は、「ブラピ」、「ファイトクラブ」、「イカれた野郎」と、ユニークな歌詞が並ぶ疾走感のあるロックナンバーとなっています。


という訳で、かねてよりclipリストに入れてはいたものの、曲の印象が映画を観る前と観た後だと変わるから、という理由で本作を観るタイミングにずっと悩まされていました。

しかし、観れるなら劇場に越したことは無いということで、満を辞して午前10時の映画祭で!!

オープニングからフィンチャー。不穏なbgmに、じめっとした暗い雰囲気。大好きです。

拳を交わすことで通じ合った対照的な二人は、新たな世界を生み出した。その世界の名は「ファイトクラブ」。痛みが生を実感させ、暴力によって自己の存在意義を証明する。

果たして二人が出会ったのは運命だったのか、、、


以下、ネタバレを含みます。


















本作はどんでん返しの傑作としても広く知られているのですが、どんでん返しそのものを大オチにしている訳ではありません。終盤にて、相反する二人はどちらともタイラーであり、二重人格だったという大掛かりなトリックが明かされるのですが、その事実が判明してなお、一層人間ドラマに奥行きが生まれます。そこでようやく、エドワード・ノートンという人物が見え始め、マーラとのドラマチックなラストシーンに繋がるのです。

冒頭、語り手のエドワード・ノートンは、〇〇の会に出席し、人の痛みに触れて泣き、自分の話を親身に聞いてもらうことで「生の実感」と「自分の存在意義」を得ていました。

そこで出会ったマーラも同様に自分を認めてくれる人に出会うことで、自分を癒していました。

二人が出会ったタイラーという人物は、ノートンやマーラが憧れていた理想像であり、彼らの奥底に眠る欲望や自由な人間に対する羨望、それらの全てを満たしたキャラクターでした。だからこそ、ノートンとマーラはタイラーに強く惹かれたのです。

ラストシーンでは、ノートンは自分の中の理想(仮想敵)を撃ち殺すことで、自己の存在を肯定し、その痛々しい銃槍から、生を実感したのでした。一方でマーラは、もう一人のタイラーが消えたことで、自分を認めれてくれる人の存在が確かなものになり、さらに自分たちにリアルな死が間近に迫ったことで、生を実感します。

少し皮肉めいてはいますが、最終的には、彼らが得たかったものや認めたかったものを抱えて死を迎えれることができたので、彼らにとってハッピーエンドだったと思います。

p.s. 雨の降った街をノートンとタイラーが帰るシーンが個人的に好きなシーンです。歩道の上を歩くノートンは、本当は歩道横の水溜りをバシャバシャと歩きたかったんだなと。全体を通して言えることですが、対比に関する描写がどれもオシャレでしたね。
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