ブタブタ

ファイト・クラブのブタブタのレビュー・感想・評価

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
5.0
「タイラー・ダーデンの話しをしよう」
チャック・パラニューク『ファイト・クラブ』
はこの一文から始まる…と思ってたら違う。
最初に発売された単行本、映画カバーのダサい文庫本でなく白とブルーのクールな装幀のやつを読んでから20年ぶり位に文庫本《新版》を読んだら記憶と全然違ってて驚く。
小説と映画がミックスされて更に脳内で別の作品とリミックスされてるのか全く違うラストを記憶してた。
「全てよくなる。何もかも良くなるんだ」
原作は映画のケレン味溢れるこの結末とは違う。
世界は爆弾くらいじゃ終わらない。
そう、
「天国では全て上手くいく」
『イレイザーヘッド』のアレだ。

更に自分が脳内で捏造してた結末はこう━━━━━━━
「ぼく」とタイラー、二人の対決はヘイレム計画最終段階のビル爆破で一緒に爆煙の中へと消え「二人とも」行方不明となる。
そしてファイト・クラブを取材したジャーナリストの「以上がファイト・クラブに関する記録である」と『ファイト・クラブ』はこのジャーナリストが取材を元に書いたセミ・ノンフィクション小説である事になってる。
しかしファイトクラブは未だ全米各地に存在しておりタイラー・ダーデンらしき人物が現れたとの話しを聞き調査に向かうと必ず聞くのはあの言葉である。
「ファイト・クラブの事はけして口外してはならない」
TheEND
で終わるとずっと思ってた。
(何なのコレ( ˙꒳​˙ )???)

『ファイト・クラブ』は単にベストセラー小説とか大ヒットした映画とかいう範疇を超えて、啓蒙書、思想書、そして文化(カルチャー)となった小説。

「タイラー・ダーデンの話しをしよう」
原作では「ぼく」はタイラー・ダーデンについて殆ど語らない。
正確にはタイラー・ダーデンとは何者か?について殆ど語らない。
ミステリー好きなら叙述トリックに直ぐ気づくと思う。
更にはタイトルのファイト・クラブですらそんなに重要ではない。
タイラー・ダーデンに関する記述が殆どないのは「ぼく」とタイラー・ダーデンは同一の存在だと無意識下で「ぼく」は初めから気づいており(多分)分離脳症患者の実験、右脳と左脳に切り離された2つの人格のせめぎ合い(オープニングの脳からして)や脳科学者ガザニガ(この人もファイトクラブ読んでから知った)の著書『主導権を持っているのは誰か』の「悲しいから泣くのでは無く、泣いてるのが先で悲しいのは後からでっち上げた感情」の様な主体と客観の入れ替わり、「ぼく」とタイラーの二人のキャラクターによる入れ替わりを利用したミステリーでもあり「自分が変われば世界も変わるのだ」みたいな非常にポジティブなメッセージ性をも持った作品だと思う。

ブラピ演じる「全ての男性的魅力を持ったカリスマ」のタイラーは完全に映画オリジナルだ。
原作ではタイラーの容姿・性格その他の描写は殆どない。
著者後書きによるとファイトクラブそのものは重要ではなく話しと話しとを繋ぐ「何か」が必要であり、エピソード同士をシームレスに繋ぐ為の接着剤や幕間の役割を果たすものがとしてファイトクラブが存在する。
それは同時に中世の貴族達のサロン、今ならインターネット、「男が集まって喧嘩する」秘密結社という情報交換の場所であり同時に結束を高め統一された思想のカルトを作り上げる場所でありやがてそれはウィルスの様に社会に広がっていく。
タイラー・ダーデンというアジテイター、カリスマ的な教祖、理想的なテロリスト育成機関でそれは一人の男の「遊び」から始まった点でも脅威であり恐怖で同時にワクワクする話し。

ファイトクラブとは思想であり啓蒙書でありファイトクラブのメンバーが社会に放たれる事により社会が改変されていく。
ファイトクラブは一種のディズニーランドでタイラーの計画はディズニーのキャストで社会が溢れれば社会そのものがディズニーランドと化す、といった物なのかも知れない。

チャック・パラニュークは『ファイトクラブ』以降も大人気作家であり毎年の様に長編を発表し日本でもハヤカワから毎年の様に翻訳が出てたけど全て絶版で今読めるのは『ファイトクラブ』のみ。
漸く『サバイバー』が復刊される。
『サバイバー』が売れれば続刊もあるとの事なので皆さん『サバイバー』買いましょう。
特に帯に「コレに比べたらファイトクラブ何ておままごとだ!(作者)」と書かれてた『ララバイ』は何としても読みたい(買っとけばよかった)

「ぼく」が勤めてるのは「大手自動車メーカー」で飛行機で出会った女性にリコールを実施する基準について説明する。
A(販売台数)B(事故発生確率)C(弁償金の平均額)それをA×B×C=Xで計算してそのXの値がリコールを上回った場合にリコールが実施されると説明する。
つまり世の企業なんて安全よりも金が全てだと。
チャック・パラニュークの小説にはこういう意味無い数字の羅列や数式がよく登場する。
自分の『ファイト・クラブ』の初鑑賞は試写会に応募して当選した有楽町よみうりホール会場だった。
そしてずっと後から知ったのですがうちの奥さんがまだ中学生の時に試写会に当選して同じ会場で『ファイト・クラブ』を見てたという。
A(試写会に応募して当選する確率)B(その試写会会場の未婚の男女の比率)C(そのうちの男女がのちに結婚する確率)をA×B×C=Xの数値はどのくらい何だろう何て思ったのでした。
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