「暇と退屈の倫理学」で紹介されていて気になっていた映画。
鑑賞中ほぼ体動かしてないのに、観たあとは運動後のようにぐったりと疲れた…人はちゃんと映像からも身体的体験を得るのかもしれない、という発見。
ストーリーはめちゃくちゃ面白い。けど途中からエスカレートしすぎて、観ていてハラハラ&感情移入が難しくなった。暴力表現の多さも相まって、一人じゃ最後まで観れなかったと思う…
自分の中の抑圧している気持ちを見て見ぬふりして分離し続けると、いつかは爆発してしまうのかもしれないな。その存在を認め、統合し、少しずつ飼い慣らしていくことによってこそ、その爆発は防げるのかもなあ。
そしてスポーツは人間が潜在的に持っている暴力性を健全な形で解放する手段としてとても適しているんだろうなと思った。運動は大事。
時差を伴う出張の連続&人の死を数字として扱うような仕事なんてしてたら、そりゃ気が狂って当然ですよね…今の社会では人が道具化されている仕事が多すぎる。とはいえ社会はすぐには変わらないので、まずは道具ではない、かけがえのない存在として扱ってもらえる時間や場所を各自が確保していくことから始めていきましょう。
一方で私たちは「かけがえのない独立した存在でありたい」という欲求と、「自己を手放して大きな物語の中の一部になりたい」という矛盾した二つの欲求を同時に抱えている気もする。今年はそのあたりについてもう少し考えを深めてみたい。
みんな生きている実感がほしいんだね。その剥き出しの生と、社会の中でうまく生きていくことのバランスを取っていくのが人生なのかもしれないな。社会的動物であることの宿命。それが人生の難しさなんだろうと思った。
海外俳優の顔を覚えられないことを自負している私ですが、さすがにブラピの顔がわからなかったのは一般教養の欠落ですね?今年はもう少し洋画も観ていくぞ〜
2025/001