シソウメ

悪人のシソウメのネタバレレビュー・内容・結末

悪人(2010年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

李監督はこういう人間を問う作品をリアリティ込みで描くのが上手い。
とても頭と心を働かせて観ることができた。

登場人物に感情移入して観るタイプの人には、人間が身勝手に描かれているので(自分はリアリティを感じる作風)
あまり移入できるキャラクターがいないかもしれない。
誰に対しても嫌悪感が勝ってしまうかも。

後は好みの問題だが、
光代が祐一にのめり込んでいく様を、鮮明に描くためか、性描写がちょこちょこ入る。
主演2人の熱演が見られるが、何度も入れ込む必要があったのかと感じた。
純愛(?)に関して少しネガティブな要素を含みたかったのかもしれない。

深津絵里の祐一と関係を持ってから艶が出てくる芝居は素晴らしい。
妻夫木聡も、さすがの演技力。祐一という不安定な感情の持ち主を見事に演じ切った。
その他のメインキャストの芝居も勿論圧巻だったし、非常にリアルに演出されているので違和感がない。
流石の一言。

しかし、田舎嫌いなのかな?監督の映画いくつか見てるけど、田舎ならではの、村社会における閉塞感だったりを好んで描いている印象。
今回も然り。

タイトルの「悪人」にもあるように、「誰が悪人なのか」というテーマが中心にある。
色々な角度、視点からひとつの殺人事件に関わる登場人物達を描き、視聴者にその判断を委ねられる。

その視点の中に対比だったり、立場や環境の違い、タイミングなどの作用が加わり白が黒、黒が白に見えるように構築された李監督作品らしい仕上がり。

なので、超個人的解釈で作品内の悪について感じたまま書いていこうと思う。

◆清水祐一 (妻夫木聡)
まず、法的に悪なのは間違いない。
相手が殺意を感じるほどの相手ではあったから、仕方がないとは思うけど、ただそれが「死」と等価なものだったとは思えない。
動画を撮って自分の正当性を確保した上で置き去りにする方法だってあったんじゃないか?
「だって車に乗らないって言うから」で済んだと思う。殺す必要はない。

彼の一番の罪は何か。
それは「自己主張をしなかった事」そして「容量が悪かった事」。
上記も相俟って「キレやすい」というのも。

自身の祖父の介護だけでなく、田舎近所の老人の世話まで買って出る優しさもある人間だった。
でも、きっと本人は自分の未来がそこにしかなく、不安で、苦しかったのだと思う。
だからこそ出会い系サイトに、光代に生活圏の外の自分の居場所、希望を求めたのだ。

もちろん、そういう状況に置かれたのは彼だけが要因ではない。
両親、祖父母、環境、元を辿ればこの国や、地域の問題にも及ぶだろう。
しかし、抜け出そうと思えばもっと色々な方法があったはずだ。
他人に奉仕し続けて、自己を失ってしまった祐一の利己的な部分が暴走してしまった。

◆馬込光代(深津絵里)
彼女も殺人犯を庇い、犯人蔵匿罪?的な罪に問われる事をしている。
祐一と同じくその寂しさから出会い系サイトを使い、祐一と知り合う。
1人を寂しいと思うことも、出会い系に手を出すのも悪ではない。

彼女の罪は、「自分を必要としてくれる人間への依存」「非日常への執着」である。

祐一もそうなのだが、環境さえ違えばまったく問題のない感情であるし、誰もが持ち合わせているであろう感覚。
しかし、人生経験や、コンプレックスにより肥大化してしまうと暴走する。
殺人犯と逃げる事であらぬ噂も立てられるだろうし、家族からしたらいい迷惑である。

祐一と家族のためを思えば、素直に自首させていたら良かったのに、
精神的孤独に苛まれる生活に戻りたくなかったのか、非日常を失いたくなかったのかは分からないが、
自分の欲求に勝てなかった。
孤独の寂しさに勝つのは至難の技だ。

◆増尾圭吾(岡田将生)
この作品、随一のクソ野郎。
老舗旅館のボンボンでマザコン。
彼の罪は何か。
観た人全員が感じていることとは思うが、「自己中心的思考」「共感能力の低さ」「短絡的思考」「自己陶酔」といったところだろうか。

ザ・クズ大学生を地で行くキャラクター。
でもこういう人間は意外と多くいる。
金持ちでなくても、自分以外の物事はどうでもよく、自分さえ良ければいいから他人のことを見下して生きているような人間。
何も大学生だけではない。

彼が最も胸糞悪く描かれているのが、この映画の肝だと思う。
置き去りにはしたが、殺してはいないのだ。
しかし、彼女が殺されるきっかけを作ったのは言うまでもない。

果たして、増尾と祐一の罪の重さの天秤が、罪状とどう我々の中で傾くのか?
というのも問いかけのひとつだろう。

彼も悪いところばかりではない。
マザコンではあるが、母親を大事にしているだろうし、尊敬して感謝もしているだろう。
逃げ回っていたのも単に小心者というだけではなく、家族に迷惑がかかると考えたのだろう。
また、佳乃に「よく知らない男の車に乗る事」を指摘するくらいには常識感覚はある。

だが、釈放された後も反省の色はなく、自分は悪くないと考えているという救いようのなさ。
彼の周りも同じような人間が集まっているだろう。
フォローするわけではないが、そんな中で「ナメられない自分」を保つのは大変なのだ。

◆石橋佳乃 (満島ひかり)
さて、この映画での被害者であるが…。
これまた癖のあるキャラクターである。
個人的には増尾と同レベルに残念な女の子。

出会い系で売春に近いことをしているし、
嫌がってはいるが、下着でいる時の動画を撮らせている。
「顔は撮らないでよ」と言っていたが、顔が映ってなかったら良かったのかな?
女友達にはマウントを取りたいがために、増尾という良物件の男が彼氏であるという嘘をついている。
そもそも出会いはバーでナンパされて…というビッチ。
そして、祐一を見下しているためか、会う約束前に餃子を食べるし、それに対してケアもしないガサツっぷり。(それだけ祐一を見下していたのだろうが、増尾とドライブする事になってもケアはしなかった)
挙句、偶然会った増尾に色目を使い、祐一との約束をドタキャン。

ざっと挙げてもいい部分が見当たらない程だ。

何より酷いのは、その空気の読めなさである。
増尾の気持ちもさることながら、自分の浅ましさが周りにバレてしまっていることにも気づいていない。
遂には増尾の最も触れてはいけない母親の話を、あろうことか自分と重ねて話し出す。
ある程度なら耐えられたであろう増尾の逆鱗に触れてしまったのだ。

正直、興味のない(しかも見下している)女子から自分の家庭を知ったかぶられ、あたかもやがて自分が家族に加わるような言い方で話されたら、増尾じゃなくてもマザコンでなくても不快である。

手を差し伸べてくれた祐一との会話も酷い。
好きだった男に酷いことをされた後だから仕方ない、という気持ちもわかるが、
祐一への見下しっぷりが、八つ当たりがエスカレートしたところに全て出ている。

「想像力の欠如」ひいては「自衛意識の低さ」「流されやすさ」「相手の気持ちを考えない」という罪。
これまた利己的な思考の持ち主である。

◆その他の人
清水依子(余貴美子)
祐一の母、罪と言えば息子を棄てた事。
そして「自分は関係ない」と言い「泣きながら謝った(から棄てた事はもういいだろう)」と考えるクズ。
親に棄てられた子供が自分に必要性を感じない、居場所を見つけられなくなるのはよくわかる。
犯罪者・祐一を生み出した原因は確実にある。

祐一の祖父母(祖母・樹木希林)
祐一を育ててきた二人。
祖父は寝たきりで祖母も若い祐一に頼りきり、悪徳商法に引っかかってしまい祐一のために貯めていたお金を失う。
「無知」が罪、自分が祐一に甘えていた結果、祐一が何処にも想いを吐露できなくなっていた。
母親に棄てられた祐一を、もっときちんとケアしてあげるべきだったかもしれない。
育ててきた時間と手間があるからなんとも言えないところもあるけど…。

堤下(松尾スズキ)
悪徳商法の販売員。クズ野郎。
こういう奴こそ滅びろと思う。
暴論かもしれないが、騙される奴がいなければ成立しないんだから、みんな騙されるなと言いたい。
もちろん、騙す方が100%悪いのだけど。

馬込珠代
光代の妹。優秀。そして順風満帆な日々を送っているぽい。
姉が一緒に逃げたせいで世間から白い目で見られる。
が、彼女も姉のことをもう少し考えてあげるべき妹、彼氏とイチャイチャしていたから、雨に濡れ凍えながら帰ってきた姉をチェーンを掛けたドアの前で結構待たせる。
その癖、自分が出かける時は「チェーンかけないでよー?」とか言う始末。
何気なく言っていることだろうけど、光代からしたら疎外感や無力感、自己否定へと気持ちが向かうだろう。

気を使いすぎるのも大変だけども。

石橋里子(宮崎美子)
あんな娘にしてしまった罪。
娘の事を信頼しきるのも罪になってしまうのだろうか。
では祐一のように手の届くところに縛り付けるのが正しいかといえば、そうとも思えないし、対比的に表現されている。

正直、娘がああなってしまったのは両親のせいなのか。
ただ運が悪かったのか。

石橋佳男(柄本明)
里子然り、あんな娘に育ててしまった罪。
何だかんだ、甘やかしてきたのだろう。
保険に入ってくれそうな人を紹介するだけに呼び出されても快諾する。
少なからず娘に頼られるのが嬉しかったのだろう。
そう考えると、内容が悪徳商法ではないだけで堤下のやり方とこの親子の保険の紹介の仕方は近しいものがある。
物事が悪へ転ぶのは、ほんの少しの感覚や、運などのズレなのかもしれない。

そして、娘の中身を見る事もせず、真犯人を探すでもなく、容疑者になった増尾に襲いかかる。
行き場のない思いをぶつけるのに、増尾がわかりやすく手近で、明確な正義もあったからである。
作中で増尾やその仲間に対して正論を投げかけるが、自分の娘がそんな一員であることを棚に上げている事に気づいてもいないところが滑稽に見えた。
最後に踏み止まったのは、自己中心的になりきらず、家で待つ妻の事を思い出したからか…。

鶴田公紀(永山絢斗)
増尾と連んでいる友達の一人、増尾に不信感を抱く。
彼は増尾の佳乃への発言や、ラーメン屋での所作、増尾に転ばされた佳男を心配するなど、優しく常識的な考えを持つ。
彼の罪と言えば、増尾の友達ながら本音でぶつからなかった事。
前々から注意したり指摘したりする勇気があれば、もしかしたら佳乃は死なずに済んだかもしれない。
この事件を経て成長したのではないかと思う。

マスコミ
事件の報道に関して、取材はしつこく、ねちっこく、公共の場でまで押し掛ける無配慮っぷり。
そして面白おかしくこき下ろす。
事実よりもセンセーショナルに。
知る権利?報道の自由?
もっと崇高な思想のための権利だというのに…。

まあこれも下世話な扱いを喜ぶ消費者がいるのも、大きな問題である。

警察
せめて加害者の親族の家に警備の人間つけようよ…。
あーゆーのって全くケアされないものなのかな…。


結論としては、「悪でない人間など一人も居ない」と感じた。
何かしらの事象には理由がある事、関わってしまっている事。
直接でも間接でも、小さくとも大きくとも、その時々で形を変える「悪」とどう向き合うかを問われる作品だった。

キーワードとなるのは、全員が「利己的」であるというところ。
確かに人間は利己的な生き物だ。
だからこそ、他人と生きる上でうまく立ち回らなければならない。

祐一は最後、光代に「俺は光代の思っているような人間じゃない」と言い光代の首を絞める。
自分と行動を共にしてきた光代が罪に問われないように、そして殺人犯である自分を忘れてもらうための行動に感じた。
取り押さえられた祐一の表情。
そして光代の手に触れようと懸命に伸ばした手は、届く事はない。

なんという切ない描写。
最後に祐一は光代の事を一番に考えたのだ。
被害者・佳乃の父、佳男の言っていた「大切な人がいたら、大切な人の喜ぶ顔を一番に考えるもんだ」という台詞が沁みる。

今一度、自分の悪を再分析して、無理のない範囲で善き人間であろうと思う。
対人では相手によって受け取り方が違うものもあるという教訓を胸に。

唯一ひとり、樹木希林の乗ったバスの運転手だけは善人だった。
かっこよすぎる!
シソウメ

シソウメ