日常系が魅力の原作を下敷きに「そんな楽しい日々こそ夢だったのかも」みたいなメタ構造をやってしまったら、そりゃキャラクターに息吹を与えている原作者は怒ってしまう。だからこそ当時、劇場で観ていたら衝撃だったこともカルト的人気がでるのもわかるっちゃわかる。
ただ監督の作家性というよりは地上波放送ありきな文脈上における工夫なので、いま改めて観てすごいとはならない。逆にいうと『花束みたいな恋をした』でサブカルワナビー麦くんが神と崇めてしまう不名誉はこういうところが所以なんだろうと合点がいく。
夢or現実の万華鏡的表現はお見事で、夜の校舎がエッシャーみたく合わせ鏡や上下逆さまになる演出とかはおお!ってなったがそこがピーク。いかんせん、やりたいこととうる星の世界観がミスマッチだったんじゃないかな?丁度いまやってるらんまのリバイバルがリスペクト溢れるものだからこそ、なんかよりそう思ってしまう。
やはり押井守さんの小難しさは攻殻機動隊やサンサーラナーガみたいな陰鬱な世界観のなかでこそ輝く。