松浦義英

ジョゼと虎と魚たちの松浦義英のレビュー・感想・評価

ジョゼと虎と魚たち(2003年製作の映画)
5.0
24.07.15:blu-ray。

【追記】
Blu-ray収録のドキュメンタリーについて。

冒頭のポラロイドを撮った写真家の人が
「(指の)ささくれのイメージ」って話しいて感激した。
…まさに恋ってそれだから。
痛みと、
それなしでは自分ではいられない感じと。
ただ数ショットなのに、とてつもなくカッコいい設定だよね。

ジョゼと恒夫が初めて出会ったシーンの包丁振り回しの角度、
犬童監督が「お腹じゃなくて首を狙って」と。
生と死の観点、障害者が日常生活を営む必死さ…色々なものが帰結した首狙いなんだろうなと思うとジーンとする。

撮影が終わって、池脇千鶴と妻夫木聡がセットの脇でさらっと抱擁して、右と左に別れていく画…。
劇中にはない別れはこうだったのかも?と思うとウルッと、でも爽やかな気持ちになった。
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「帰れって言われて帰るような奴は
はよ帰れ!
…嘘や。おって…帰らんとって。
ここにおって…ずっと……ずっとやで」
この場面の池脇千鶴の声よ。感情の表出具合と目の演技がすごい。100点。
…『相棒』の川端蘭子が池脇千鶴のベストアクトだと思っていたけど、
身体的演技も合わせてきた本作は大幅更新。

冒頭のポラロイド写真からもう引き込まれる。引き込まれる。
キャッチコピーの『忘れたい、いとおしい、忘れられない。』
わかるなあ…。

新井浩文のベストアクトですよね、本作。
子役時代の演技も素晴らしかった(笑)
板尾創路は流石の演技。
乳触り男も様々な意味で良いスパイス。
江口のりこはまさかの妻夫木のセフレ。
上野樹里はこの役が一番好きかもしれない。ビジュアルすごい…。
というかサブキャストまでみんないい塩梅なのすごい。

「シンショーの武器」…≒環境としての座敷牢(虎の檻との対比)と乳母車。
ボランティア。
(同じ障害を持つ個人的には、「シンショー」連呼はちょっと…って感じる部分もあるのが正直。
なんだけどもシンショーって固有名詞でもって、ジョゼをちゃんと認識してるんだから…
そういう意味でのシンショー読みなら許せるぜ)

恒夫のディープキスの生々しさがいい意味で作用するジョゼとのセックスシーンは本当にすごい。
(あそこでジョゼが生々しいのは勉強の賜物か、ジョゼの母親の生々しさとは少し違うジョゼの生々しい世間知らずさ。の生々しさにヒントがあるのか…余白もあるのが素晴らしい。
そしてジョゼの行為の生々しさが、ずっと機会を奪われてきた身体障害者のコンプレックスと性欲爆発に繋がる演技なのがたまらない。
そしてちゃんとSMも活かす水族館休み→水族館ラブホという脚本の妙)

ジョゼ自身の障害への捉え方に共感しかなかった。
車椅子は使わない主義から始まって
(乳母車に入れ登場させることで、観客に「健常者なんかな?いや、障害者か?いや、病人か?」と入口を広くしつつも疑問を持たせる手法のうまさ)
「ほんまにそう思うんやったら
あんたも足切ってもうたらええやん」は拍手しまくり。
こんなの、治らない障害持って生きて、どこか諦めを得たら普通に言えるようになるからな(笑)
同じ先天性脳性麻痺身体障害当事者としては現代の邦画でこれはとても感慨深い。
ジョゼが一貫しておんぶに拘るの、俺が杖を使いたくない気持ちに重なるんですよね。
(仕事では最近杖使ってるけど…やっぱダメなんですよ…。
安全は確実に担保されるけど、自分の機能を殺してる、壊してることになるからね。
障害者として今の障害に落ち着いたのに、自ら安全を楯に身体を卑下してるからね)
旅行中、心理的距離を察知して、身を引く心理もとても理解出来て地獄だった。
やっぱり相手にはない"負債"ではあるから、今の相手には背負わせたくない装備品だから、相手が背負ってくれてもその重さを100%は理解できないと思うから…身を引かざるを得ないんだよね。相手の苦労を考えすぎて、自分のキツさを純粋無垢な他人に共有したくなくて。
だから、達観してしまうんだよね、勝手にね。
…あと理解者に出会ったら心を意外と早く開くところとか、性行為を求められることに嬉しさっぽいものを感じるとかも、
「あー(遠い目)」っていう←

ジョゼの母親の演技も素晴らしかった。
ちゃんと世間からの目も理解した上であの散歩をしていた事。
恒夫が母親に対して抱いていたイメージを把握した上で、娘が作ったご飯を美味しそうに食べてくれた他人の顔を目の前で見れる事への嬉しさ。
ジョゼがタンスの下部にいる背景。
ひとり親の背景。
福祉と繋がってもそれを世間に知られないようにする価値観。
あれを毒親と見るか、愛情が行き過ぎただけの情報のない親の必死さと見るか。
鑑賞者の価値観測れますよね(笑)
…演技に余白があって素晴らしかったなあ。

「壊れもんには壊れもんの分というもんがあるやろ」
「いつかあなたはあの男を愛さなくなるだろう。
と、ベルナールは静かに言った。
そしていつか僕もまた、あなたを愛さなくなるだろう。
我々は、またもや孤独になる。
それでも同じことなのだ。
そこにまた流れ去った一年の月日があるだけなのだ。
ええ、わかってるわ。と、ジョゼが言った」
「一番怖いものを見たかったんや、好きな男の人が出来たときに。
怖うてもすがれるから。
…そんな人が出来たら、虎見たい、と思てた。
もし出来へんかったら一生、ホンモノの虎は見られへん、それでもしゃあない…思うてたんや」
「なあ、目閉じて。何が見える?
そこが昔うちがおった場所や。
深い深い、海の底。うちはそっから泳いできたんや。
あんたとこの世で一番エッチな事するために。
そこには光も音もなくて、風も吹かへんし雨も降らへんで、シーン、と静かやねん。
別に寂しくはない。初めから何にもないねんもん。
ただ、ゆっくりゆっくり時間が過ぎていくだけや。
…うちはもう二度とあの場所には戻られへんねやろ。
いつかあんたがおらんようになったら、迷子の貝殻みたいに、独りぼっちで海の底をコロコロコロコロ転がり続ける事になるんやろ。
でもまあ、それもまた良しや」
「障害者のくせして私の彼氏奪うなんてどういうことって。
心底殺してやりたいくらいムカついてたわ。思いっきり二発殴って帰った」
…今泉力哉監督作のセリフに近しいな、今泉監督影響受けてそうだな。と思ったら、影響を受けていると公言してたよ。なるほどと思ったよね(笑)


「別れても友達になれる種類の女の子もいるけど、ジョゼは違う。
僕はジョゼに会うことはもう二度とないと思う」
…ここのセリフの直後、ジョゼが電動車椅子になっているという変化を描いているのがとっても、とっても…。
(ジョゼが電動車椅子になったこと、
ジョゼが性的快楽等諸々を覚えて恒夫と別れたこと、
恒夫はジョゼと会わないと考えていること。
それらを=残酷な結末
って捉える風潮が今作にはあるみたいですけど、
いやいや…っていう。
…ちゃんと愛した人が隣にいないってのはもちろんそうなんでしょうが。
ジョゼからしたら形として元に戻っただけなんだよな。
でも元に戻るまでに
見たもの、感じたもの、考えたこと、
得たもの、経験したもの…たくさんあるんだよな。
だから残酷じゃないと思うんですよね。
経験値を恒夫のおかげで積めたんだから。
福祉とも繋がれたんだから。
天使のフリした凡人に言いたいこと言えたんだから。
(彼女は"障害者のできること"が自分の想像してた以上にあった現実に混乱したんだと思う。
けれどもダイブ云々の言葉も福祉を学ぶ者にとっては、当事者の実際の動きを見たいって欲は絶対あるから
それをセリフにしたのは素晴らしいと思うんだ。
…Amazonにそれを否定するレビューがあって、
差別じゃないのに、自分が理解できないからと差別と捉えたり。
その逆とかもあったり、やっぱり日本の福祉観はまだまだ最低レベルだなと)
だからハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、ただ"形として360度戻っただけ"というね。
リアルな着地で素晴らしいですよ。
結婚とかはね、この後、ジョゼには機会は巡ってくると思うよ
↑それは劇中結果の憐れみでもなんでもなく、ジョゼの強さに惹かれる男は現実として存在するから)

エンディングでジョゼが日常の『飛び降り』を変わらずしてて最高だった。
これこそ強さですよ。障害者が生きることへのストレングス。
この強さを解剖して考えてみてほしい。
その裏には達観した覚悟が透けているし、様々な意味合いの『重み』がある。
だから最後はドサッ!という落下音で終わる。
ジョゼ自身はその重力と均衡を保って生きているのだ。

『何かでっかい事してやろう きっとでっかい事してやろう』
『身ぐるみ全部剥がされちゃいな
やさしさも甘いキスもあとから全部ついてくる』
…くるり、別になんとも思わなかったんだけど、
本作のフィルムライクな画にピッタリ。
『ハイウェイ』無限ループですわ。
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レビュー書いたあとWikipediaを読んでみたらビックリした。
原作からの改変…さすがイーストウッド好きの犬童一心。
おんぶの意味もやはりなんだなと。
ジョゼにちゃんと自分をそのままトレースできる人の存在があること、
ちゃんと救っていること。
台詞や様々なものに多重的に意味を含ませる巧みさですわ。

くるりのサントラも素晴らしい。
BGMとしてクオリティ高い。
『ジョゼのテーマ』のベースラインすき。
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原作も一応読みますかね。
韓国映画版は、たしかに雰囲気とか似てるし期待できそう。
アニメ版は前評判から言って『君の名は。』や『聲の形』や『二ノ国』と同じ匂いがプンプンしてるからキツそうだけど、せっかくだし続けて明日見てレビューするか。
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Amazonレビューで見過ごせないモノがあったので数件引用。

・『こういう話が優生思想を生むのではと危惧します』。と始まるレビュー。
『障害児の母親が、その子を連れて散歩していたとき
「昼間にそんなの連れて出歩くな!」と知らない男性に怒鳴られて怖かったと言っていたことを思い出しました』
『みんなだいたいが弱いし、ジョゼのように辛いこと続きでもあきらめも達観もしていません』
と記載があるんだけれど、この人は上野樹里のキャラを表面でしか見ていないからこういう感想が書けるんだなあと驚愕した。
…上野樹里が一見差別意識バリバリの人物に見えるけれど、ビンタのシーンの行動をキチンと考えてみてほしい。
彼女は優生思想を世間一般の感覚に流されて持ってしまったけれど、ジョゼと会ったことで"自分と何も変わらない人間"と思い直して、
「思いっきり二発殴って帰った」とあっけらかんと言い放つ。
…『知らない男性』のような無知な悪意を障害者の個々人が経験してきたであろうことは想像に容易だ。(俺も)
その悪意を全てに対して受け止めていたら、精神が持たないのだ。
それを現実として知っているジョゼは仕方なく『あきらめ』て『達観』している。
未来はそんな必要がないくらいに真の意味で相互理解が進んで偏見がなくなっているかもしれない。
でも今の現実では、多かれ少なかれ、戦わなければ生きていくことは出来ない。
それは一方では強さだろうし、一方では弱さだろうとも思う。
でもどちらが茨の道である人生を生き抜けて楽しめる確率が高いか…明白だよね。
福祉多元論というのをこのレビューを書いた人には考えてみてほしい。
多元論だから俺の考えも、レビューの考えも尊重されて然りだけれども。
どちらが真の意味で大局的なバリアフリーか、考えてみてほしい。
上野樹里はね、優生思想を知らぬ間に持って、それに疑問を抱いて、ジョゼを通して優生思想を否定する術を獲得したんだと俺は思うよ。

・『ジョゼは次第に恒夫の行為や親切を当たり前に思う』。
とジョゼと恒夫の旅行中に距離ができるシーンに言及した感想。
…最初からそういう人は確かにいるんだけれど、俺も大っぴらに否定はできないんだけれど…
そういう障害者が多くなりすぎたことに最初から危機感持ってる障害当事者ってたくさんいると思うんですよね。
でもその話を健常者に出来ない、したら関係性にヒビが入るんじゃないかと思ってできない。
って経験俺はおおありだからね←
正解ってなんなんだろうね、未だにわからないもんね。
でもジョゼは当たり前に思ってはいなかったと思うよ。本当に。
もし本気でそうとしか見えないのなら、障害者に関係する本人と周りの理解が圧倒的に足りてないと思う。

・『ジョゼは何故恒夫に執拗に依存したんだろう。
車椅子を使うなり自分でできる事は自分でして、恒夫の負担を減らせばもう少し違ったんじゃないかと。
自分の不自由さごと受け入れさせる事で恒夫の愛情を計っていたのかな』。
それは恒夫が様々に魅力的だったからであって、なんら健常者の恋愛と変わらないのに、そこに疑問を持ってしまう怖さ。
…もう一つ当事者の視点を付け加えるならば、「そんな異性がもう現れないかもしれない恐怖」も絶対ある。
俺なんかまさにそうだから。
いや、俺に限って言えば現れてはいる。
でも、一人の大きさがケタ違いでは誰も十年以上越えられていない。
だから、『依存』に見えるのかもしれない。
ただ、恋愛は依存のしあいだと思うから、ジョゼの思いは健全だと思ってる。
だからあれは『依存』ではなくてジョゼから恒夫に向けられた矢印。
『究極の好意』だと思うんだ。
松浦義英

松浦義英