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美しき諍い女(いさかいめ)のharunomaのレビュー・感想・評価

5.0
まずマリアンヌ。
この国では近年、若者を中心に、無防備にリヴェット・バブルがなぜか盛んに許されている。
保守本流たる理念も思想も通底し得ない歴史のなさの中から、相対的にこの中庸なる不思議な者の肌に触れるダニエル・リヴェットではなくジャック・リヴェットは、現在の為政者の支持率が未だに30%はあると言われる日本国において、主体なき顔なき(「顔は見たくない」)というか瞳なき作家の名前があくまでも相対的に候補として語られ、その実、映画そのものについては全く何も「神秘的-精神の発露の輝き」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)がないことにおいて、低体温の熱狂はこの死んだ魚であるリヴェットに付与されるのであろう。まやかしの貴族が持てはやされるばかりだ。問題は遺伝し得ない出鱈目の血筋を持つルノワールの歴史にどれだけ拮抗できるかなのだ。
ジャック・リヴェットとは、つまり17歳前後に少し齧ればいいだけの、まやかしの名前以外の何者でもない。

そして10数年ぶりにamazonで『美しき諍い女』を再見するわけだが
やはりウィリアム・ルプシャンスキが素晴らしい。空間が開示していく身体。
ルプシャンスキだけが素晴らしい。俳優も素晴らしいんだが。エマニュエル・ベアールの浮遊のようなダンスの身振りの魅力が前半だとするなら、ほぼすべての肉の塊もよい。幽閉された動物が息づいている。「逆さ吊りか。動物もポーズを取る」

散種と巣籠もりを経て、一日の始まりと終わりがあれば、繕うような外気が戸外へと解放されていく。家の中に狩猟があり、外へと帰路につくかのよう。反転、鐘楼の鐘の音。フィンチャーのある種の瞬間を、永遠に引き伸ばして観察すると4時間になる。風の歌を聴け。案外リアルなのかも知れないが、エロティシズムはダニエル・シュミットとは全く違う。『ヘカテ』。そう『ヘカテ』同様に2時間12分47秒頃、画面の下にマイクが見切れる。
『ヘカテ』『騎手物語』『私は猫ストーカー』
偉大な映画には、ガンマイクが画面に侵入したり、被写体の目の前のカメラの影が被写体に投射したりする。ということはやはりこの『美しき諍い女』も偉大な奇跡なのだ。

諍いではなく、途中からもアングルとベーコンによる変貌、髪、顔の。これほど身体が物として運動しているのに、やはりというか顔が焦点となるのは、言葉による憑依があるからか、それを人は情動なり、情念なりと呼ぶ。そしてまた風を纏うように回転する、動いてしまう。映画はその生成過程を描き出すわけだが、その実験は長すぎる。『イザベルの誘惑』の方が潔く単純にして明解だろう。
ルプシャンスキが素晴らしい。レンズの選択から陽光の定着、なかんずく流麗なる移動撮影、スタンダード
キャメラがパンしたりトラッキングしている時以外はリヴェットの文学的な世界。それも悪くはないが。
最後半はダレる。「事は起きて初めて分かる」というセリフがあるが、メタ的な後日談の様相はいただけない。ジェーン・バーキンとマリアンヌ・ドニクール、そしてモノローグは不要。3時間にすべき。「ノン」フレームアウトと。
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