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潮騒のodyssのレビュー・感想・評価

潮騒(1975年製作の映画)
3.5
【物分かりのよい大人たち】

三島由紀夫原作の『潮騒』を三浦友和と山口百恵により映画化したもの。ちなみに『潮騒』はこれまで5回映画化されているそうですが、これはそのうち4回目です。私はこれ以外は、2回目の浜田光夫と吉永小百合による版しか見ていません。

原作はあくまで素朴な、都会から離れた漁労の島を舞台にして若い男女の恋愛を扱っていますが、浜田・吉永版と比べると、こちらは10年をへて作られているせいか、全体的に多少現代的な匂いがすることは否めません。しかし原作が1954年に書かれていることを考えると、映画が原作から離れるのもやむをえないところでしょう。1954年にはまだ田舎の離れ小島と東京や京阪神などの都会との差は大きかった。しかしこの映画は1975年の製作で、すでに日本が高度経済成長期に入って久しい時期です。いかに漁労で生計を立てている小さな島でも若い男女の素朴な恋愛劇だけで物語を作るのは無理になりかけていたのでしょう。

この映画では三浦友和の肉体がかなり誇示されています。そしてその点は原作の精神を伝えるものと言えるかもしれません。これに対して山口百恵は、素朴な島の女にはどうも見えない。しかし、これは10年前に同じ原作のヒロインだった吉永小百合にも言えることなので仕方がないでしょう。山口百恵には彼女独特の雰囲気があるので、そこを楽しんでおけばいいのだと思います。

初江(山口)の恋敵である千代子は、この映画ではかなりデフォルメして喜劇的な役にされています。原作では彼女の都会性(島の娘には珍しく東京の大学に行かせてもらっている)がヒロインの初江と対比的に描かれているのですが、そういう複雑なところは映画向きではないと判断されたのでしょう。言うならば、加山雄三の若大将シリーズには喜劇的な敵役の青大将がいますけれど、その女版といったところです。

この映画では、若い二人を見つめる大人がかなり理解をもち、協力的です。新治(三浦)がよく魚を届けに行っている恩師夫妻(その娘が千代子)が新治と初江の仲を見守っているだけではなく、初江の頑固な父・照吉も、意図的に新治を初江の婿候補である安夫と同じ船に乗せて競わせるという設定になっている。浜田・吉永による映画では、嵐の夜に照吉に「最近の島の若い男はだらしがない」と罵倒された新治が立腹しながら向こう見ずにも海に出て照吉の船を救うのですが、こちらの三浦・山口版ではあくまで大人の作った構図の中で若い男女が動いていくのです。この違いに、浜田・吉永の映画は1960年代の、三浦・山口の映画は1970年代の日本の精神を体現しているからだ、と考えるのはうがち過ぎでしょうか。
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