りっく

東京公園のりっくのレビュー・感想・評価

東京公園(2011年製作の映画)
4.3
本作は「キャメラ」と「被写体」を否応なしに意識させる作りになっている。まず、「被写体」の魅力が驚くほど溢れている作品だ。東京という人や物が溢れ、忙しなく時間が過ぎていく土地が内包する、公園に代表される自然の清々しさや、そこに流れる豊かで成熟した時間が見事に切り取られている。

そんな劇中で息づく三浦春馬と榮倉奈々の掛け合いが本当にいちいち面白い。2人が美味しそうに、幸せそうに食べ物を頬張る姿。親しい関係だからこそ要所で敬語を使い始めるあの距離感。「天然系」×「天然系」が織り成す奇跡的なきらめきが、瑞々しく研ぎ澄まされた情感が、間違いなくキャメラで掬い取られている。

そんな2人と小西真奈美の絶妙な距離感がまた切ない。小さくはない年の差や血縁関係でない兄弟という関係が、相手の懐に踏み込むのを躊躇させる。この歪なトライアングルが奏でるハーモニーに、思わず心が躍ってしまう。台詞を一切発さず、「画」だけで聖母のような温かみを見せる井川遥もまた見事だ。これだけ魅力的な「天然素材」が揃えば、その瑞々しい生命力をキャメラで掬い取るだけで「癒し」の映画になるのだ。

しかし、本作は単純な恋愛ものだという感じは受けない。それは作り手が「キャメラ」の存在を終始印象づけるからであろう。本作は現実をそのまま映していると錯覚するほどの繊細さに満ち溢れている。だが、たとえその場に実際に存在していても、キャメラのフレーム外であれば、そこには存在していないように観客には見える。

ただし、主人公はそんな「キャメラ」を用いて、相手(被写体)に向き合おうとする。自分の心を相手に見せまいと「フィルター」をかける人々に、キャメラ越しに近づく切迫感。自分の心を見透かされる居心地の悪い姉と、キャメラで覗かないと相手と正面から向き合えない弟。それこそがデリケートでナイーヴな心の持ち主である若者の真の姿だと思う。
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