Jeffrey

アモーレス・ペロスのJeffreyのレビュー・感想・評価

アモーレス・ペロス(1999年製作の映画)
3.8
「アモーレス・ペロス」

冒頭、ここはメキシコシティー。貧富の差、人口の多さ、入り混じる階級、ドックファイト、1人の青年の話、兄弟、義姉、強盗、片足のモデル、事故、不倫相手、殺人依頼。今、3つの話が重なる時、人生の運命が決まる…本作はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが2000年のカンヌ国際映画祭批評家週間でグランプリを手にし、その勢いで東京国際映画祭でもグランプリや監督賞を受賞したデビュー作であり、彼のフィルモグラフィーの中でも絶大な人気と傑作度が際立つ一本である。この度、DVDに、久々に鑑賞したけどやはり面白い。

巨大都市メキシコシティーが舞台となっているのだが、世界一の人口を持ちながら富と貧困の差が激しい街が犬のような愛を惨めたらしく描いた意欲作である。タイトルの意味を直訳すると"犬のような愛"となるようだ。久々に見るとこの映画こんなにもラテンミュージックが最高だったかと改めてびっくりした。当時見た時は8年前位だが、その時は犬のインパクトが凄すぎてそれしか基本的には覚えていなかったが、映画を見続けてきた今、改めて観るとスペインやキューバ、アルゼンチンなどのラテン音楽の映像に合う良さが伝わる。そういえば監督自身もメキシコシティーのナンバーワンDJとして活躍していた経歴があったな。そうすると音楽プロデュースやテレビの演出も手がけているはずなので、こういった自分の処女作に存分に有名どころのアーティストたちを参加させたんだなと感じる。

後のケイト・ブランシェットとブラッド・ピット主演の「バベル」と言う映画があるのだが、確か菊地凛子なども出演している、当時この映画を見たピットが大絶賛していた事はニュースになっており、今考えるとその「バベル」と言う作品に彼が主演を務めたのもピット自身が監督に頼み込んだのかなと考えてしまう。本作でガエル・ガルシア・ベルナルは日本でも一躍人気を得たんじゃないかなと思う。それとなにげにバズ・ラーマン作の多くの美術などを担当しているブリジット・ブロシュが本作を手がけているのも今更ながらに驚きだ。当時は何の知識もなくただ見たからなあ…。やはり繰り返し年月を超えて観ると面白い映画と言うのは。それまでに培ってきた情報と知識が存分に生かされる。

さて、物語はメキシコの街を疾走する1台の車。運転しているのは兄嫁を狂おしいほど愛し、そして裏切られた若い男オクタビオ。もう1台、何も知らずに車を走らせるのは、美貌、キャリア、不倫の恋も全てを手に入れた女ヴァレリア。何匹も犬を飼い、自分が捨てた家族への愛の幻を追い求める老いた殺し屋エル・チーボ。そして2台の車と殺し屋が交差点にさしかかろうとした時、それぞれの愛が思わぬ方向へ走り出した。本作は冒頭に、町中を1台の車が暴走する。追ってから逃げる2人の若者。後ろの席には血まみれの黒い犬がいる。追う車から拳銃で狙われるが、なんとかかわす彼ら。ところが次の瞬間、交差点でもう1台の車に激突する。カメラが車内の中で狼狽するメガネをかけた友人を捉える。続いて、カメラはDOGFIGHTの場面を撮る。お互いの犬をぶつけ合い掛け金をかけるゲームをしている。犬は血だらけになり死んでしまう。カットは変わり、オクタビオの家へ。彼の兄貴の女房が学校から帰宅する。扉を開けた瞬間に兄貴ラミロの犬が外へと逃げてしまう。彼女は追うが諦める。そしてオクタビオの母親に預けていた自分の赤ちゃんを抱きかかえる。そこへ弟のオクタビオが帰宅する。会話が弾むがそこに兄が自分の洋服に漂白剤をつけたことにより女房スサナを怒鳴り叱る。弟はフォローするが会話に口を挟むなと一喝される。

オクタビオはスサナと共にこの街を出ることが夢である。続いて、闘犬場のシーンへと変わる。チンピラたちが犬をけしかけ賭け事をしている。ところがオクタビオの犬コフィーはその犬さえかみ殺す強さで、彼はコフィーを闘犬に出すことにする。そして賭けで買った金をスサナに渡し、兄には黙って隠すようにと助言する。弟が闘犬で稼ぐ間に、兄は強盗重ねる。そして奥さんと親しくなる弟をラミロはよく思っていない。オクタビオは自分がずっとスサナを思い続けていたことを打ち明け、ついに彼女と結ばれる…と簡単に説明するとこんな感じで、ここから2部、3部へと完結まで物語がハイスピードに進んでいく。



いゃ〜、普通に面白い。初っ端から狼狽する青年たちのカット割が面白い。いきなり観客は血だらけで瀕死状態の犬を見せつけられ、ヤクザのような身なりの連中に拳銃を向けられ車でカーチェイスしているファースト・ショットは一体この子たちが何をしでかしたのかを考えさせてくれる。まず、冒頭の数分で観客の心をキャッチする演出になっている。そしてDOGFIGHTへと観客を導き、グロテスクな犬同士のデスマッチを見せられる。そのまま今度は短期の旦那にDVをされている女房の場面が映り込み、色々と不穏な空気を与える。んで、弟である主人公のオクタビオが兄貴がバイトをしているスーパーに行って頭突きをして、鼻を折り金を取り、兄の女房に渡しに行き赤ちゃんに使ってくれと言う場面で兄弟の間に不穏な空気を作り出す演出、それが次の瞬間で、風呂場で弟は兄貴に鉄パイプで繰り返しぶん殴られて血だらけになる。あっ、そうそう、途中で乞食のような男が拳銃でレストランで食事をしている男に撃ち込み殺す場面も挟んでくる。ここで新たな謎を提供しているのも非常に良い。そんで物語の後半からヒステリックな女が現れるのも、違う展開が起こり始めてきて面白い。

この作品はメキシコ的で非常に安定感がある。きっとメキシコにしか作れない雰囲気や要素があるため外国であるカンヌ映画祭では興味津々に観客や審査員たちが見ていたのだろう。それにスピーディーなカメラワークや暴力、グロテスクな犬のバトル、そして何よりも画期的なのがメキシコシティーと言う空間にいる全庶民(富裕層も貧乏人も)一つにまとめ上げ映像として映し出している、だろう。何が言いたいかと言うと、メキシコシティーと言う超巨大な都市の中にうごめくありとあらゆる階層に生きる人々たちが入り乱れる、いわばカオス化した都市の全体像がうまく写し出されており、監督はまるで全てを共存させるかのように撮っている。

もはや今となってはメキシコのイメージはカルテルや薬まみれの事柄ばかりが先頭に立つ。もし、ふと誰かに君がメキシコといえば何を思いつく?と聞かれたら何て答える?コバ遺跡か…トゥルム遺跡か…陽気な大きな帽子をかぶってギターを弾いているおじさん達か、タコスやチョリソー、サルサソースなどか?いや違う…真っ先に頭をよぎるのは治安の悪い国、横領されている悪徳警官、カルテルの存在だろう。それらのイメージはすべて映画と言うフィルターを通して我々の頭に入ってくる。その暴力的で、非情なまでの眼差しがこの映画にはある。それにメキシコと言えばカトリックの血なまぐささなども題材に入ってくるし、独立戦争から革命、ゲリラ闘争など様々な歴史がメキシコにはある。メキシコの事件簿を開いてみると数え切れないほどの惨殺の事件が多くある。

例えば私がハマった海外ドラマのブレイキング・バッドと言うドラマの中の登場人物にチコと言うメキシコ人がいるのだが、彼がとんでもなく暴力的で恐ろしい人物だった。そういった言わばネガティブな要素がメキシコ人には多く映画の中では存在する。もちろんどこの国も事件はあるものだが、この人間臭い感覚がたまらなく癖になる映画がアモーレス・ペロスなのだ。決して、メキシコをぼろくそに言っているわけではなく、そういった自国のネガティブな事柄を前面にピックアップしてフォーカスする勇気が非常に素晴らしいと言っているのであって、貧乏人になればなるにつれ暴力的に、人間が昨日とはまるで異なる性質に変化していくかのような流れをこの映画が汲み取っているのが非常に観ていて凄みを感じるのである。

それに、きっと訓練されている犬が犬を噛み殺してしまう場面は非常にショッキングであり、人によっては目を避けたくなるほどだ。暴力、腐敗してるこの街をオムニバス形式で激しくとっているのも非常に画期的である。それにユーモアがあり、例えばモデルが片足を失うと言うストーリーも笑ってはいけないがどこかしら非現実的な感じがする。それに映画全体を今回見たときに、8年前にはまだルイス・ブニュエルの作品を1本も見ていなかったが、今日多くの彼の作風を見ているから分かるが、イニャリトゥはブニュエルをリスペクトしている。兎に角、階層で分けられた人間模様が非常に面白く楽しい映画である。もちろん暴力的なのだが、メキシコやブラジル映画にとっては暴力と言うのはご愛嬌の1つだろう。逆に暴力を取ってしまったら、それはその国の映画ではないだろう。血生臭く、時に宗教を取り入れ、メキシコ文化を前面に押し出した暴力性の高い映画こそメキシコを選んだ。だから近年の韓国映画が面白いのはその一つである。韓国特有の残忍な暴力性の高い性質を前面に押し出しているので、見る者を圧倒するのだ。

今のハリウッド映画なんて見てみろ、極力映画に血を出さない、暴力的な映画は制作しないと言う運動まで起こっている始末だ。どんどんどんどん衰退していく。日本の映画には言及するまでもない…さて、本作のストーリーテラーは圧倒的で、複雑なプロットをよくここまで考え抜いたなと言う拍手喝采を監督に送りたい。千里眼がある人だったら当時この作品を見た瞬間に、そのうち世界3大映画祭もしくはアカデミー賞で最高賞受賞するんじゃないかと思ったはずだ。見事に「バードマン」で受賞しているし、次々回作の「レヴェナント」ではレオナルド・ディカプリオに主演男優賞へと導かしている。 にしてもコントロール・マチェテのSi Señorがめちゃクールな音楽で最高だ。

そういえば、グラミー賞にラテン・ロック部門が新設されたのがこの作品が作られた2、3年前の98年だったことを振り返ると、やはり21世紀に入る前の年位からラテン圏だけではなく米国にも様々なラテンミュージックと言われるジャンルが支持されてきたのだろう。この映画にも様々なミクスチャーサウンドが特徴的に流され、とりわけロックが圧倒的にかっこよく流れている。ときにはサルサっぽく、腰を動かしたくなるようなヒップホップやクセのある言い回し等がしびれる。

この映画、最初の1部目で、もはや映画が完成形に至っていて驚く。トータル150分越えの長い作品だが、最初の話だけでも十分に上映できるレベルの映画になっている。言わば3つの映画を重ねた映画と言える。なのでそれぞれに個性があり、不思議な共通項が徐々に観客から掘り起こされる。とにかくこの映画には息苦しさと絶望に満ちた下層階級の人々や、メキシコシティーのカオスな現状を浮き彫りにした映画で、見る者の視野を広くさせる力を持った釘付け映画である。今思えばこの作品の次回作であるナオミ・ワッツやショーン・ペン主演の「21グラム」もさらに複雑さを増しており、本作の3部構成同様に人間が対峙しなくてはいけない3つの試練をテーマにしている作品だったなと振り返ると気づく。

本作ではハリウッドスターを使わずに、メキシコ俳優を使っていたが、次回作からはいきなりハリウッドスターを使い始めていたのは少しばかりショックでもあった。こんな早くもうハリウッドのスターを使ってしまったのかと言う気持ちがあった。正直イニャリトゥ作品だったらまだメキシコの役者を使って小規模に素晴らしい作品を作れると感じていたが、結果は「21グラム」も重い映画だが、個人的には好きであったため良かった。そこからはハリウッドを拠点に映画をとってきている。彼のオリジナリティーあふれる風味は継続されていて良いと思う。
Jeffrey

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