kuronori

モスラのkuronoriのネタバレレビュー・内容・結末

モスラ(1961年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

他の方の「モスラ対ゴジラ」のレビューにコメントしてたら、観たくなってしまって…。
最初の「モスラ」です。
小学校の頃にTV放送で観て以来ですね。
何十年ぶりなんだ(笑)

いや、子供の頃の記憶って美化されてるのかな…???
こんなんだったっけ?
もっと妖しく美しい筈だったんだけど…。うーん。
一番のハイライトの☓☓☓☓☓に繭をかけるシーン。当時は「ええっ!?」っていう驚きと、怪奇な雰囲気を感じてたんですけど、今見ると、作り物感満載です。書割の絵もすぐわかっちゃうし…。

フランキー堺は凄いですね。彼の力でドラマを成立させているのではないかと感じる程の活躍です。ストーリーの進行を洒脱でエネルギッシュな演技で推し進めていきます。
監督さんからみたら、居てくれたら助かる役者なんだろうなぁ(笑)。

音楽は「エール!」でお馴染みの古関裕而。東宝の特撮といえば伊福部昭なので、いつもの伊福部節でないのは物足りないのではないかと危惧しましたが、モスラにはエレガントなこちらの方があっているような気がします。
ザ・ピーナッツが歌う、例のモスラの歌は、日本語で作った歌詞をインドネシア語になおしているのだそうな。今日に至っても忘れられないメロディーは流石です!
カラオケにあるみたいですよ。是非歌って欲しい(笑)。

ストーリーの根幹には「キングコング」の影響を感じます。
しかし大きく違うと思うのは、「キングコング」は映画的には徹頭徹尾「野獣」として描かれている
(現地の人々には儀式をして崇めているようなニュアンスが無いことも無いが、それも映画全体では未開な人々の迷信という片づけられ方をしている。徹底して「野獣」として描いているから、エンパイアステートビルから墜落する直前の『あの動作』が観客に刺さる《1933年版》。)
のに対して、「モスラ」は最初から「神」的な存在として描かれているところです。これは「八百万の神」な考えが根底にある日本人だからなのか、わりとすんなり受け入れられてしまいます。
ゴジラにもガメラにも「神的なもの」として描かれている作品があり、やはり日本人特有の感性なのかも知れません。

特撮は凄いですね。幼虫が小美人目指して東京を突進してくるところ、当時の東京の街の何処にどんな看板があるか的なレベルまで再現しています。
ところが、ラストの舞台になっているニューカーク市は「それらしい街」のレベル。
本来は鹿児島でエンディングをむかえる形で撮影までおこなわれていたのだそうです。しかし、日米合作だった本作は、アメリカをモデルにしたロリシカ国で最終決着が着くようにして欲しいとの米側からのクレームが入り、公開までの時間が無い中、急遽ミニチュアのニューカークの街を作成して撮り直したのだそうです。そりゃクオリティが落ちても仕方がないですよ。 
でも、もし時間があってニューカークの街が作り込めたとして、東京の街のようにはいかないでしょう。なにしろ「アメリカではない」ロリシカ国という設定なんですから。
それじゃあ、マディソンスクウェアを緻密に再現するというわけにはいかないんじゃないですかね???

ここまで書いていて、不意に、
多分子供の頃に「意図せずにTVの放送で」観たときには、「モスラの何たるかを全く知らずに観た」のだと気が付きました。
つまり、☓☓☓☓☓にかけられた巨大な瓢箪型の繭から、何が出てくるか、どんな色彩の成虫が現れるのか、全くわからずに不安と恐怖とワクワク感で息を呑んでブラウン管を見つめていたのでしょう。
同じものを観ても、残念ながら今の私には二度と味わえない興奮だったことに、遅まきながら気が付きました。

…やっぱりちょっと悲しいなァ。
kuronori

kuronori