キットカットガール

極北の怪異/極北のナヌークのキットカットガールのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

 多様なアングル、ショット数の多さは記録映画(ドキュメンタリー)でありながらも劇映画のような印象を与える。映像にリズムが生まれ、一種の「物語」が展開していき、終始充実していた。世界初のドキュメンタリー映画と考えられている本作の下敷きには劇映画の製作手法があるのが分かる。然りとて、劇映画とは異なるが故に、部分的に挿入された印象的なカットが目を引く。とりわけ、1つの対象のみを収める大胆な構図が好まれていると推測できる。例として、冒頭のナヌークとニーラや、歯を剥き出した犬を挙げられる。フレーム内に1つの被写体が長く留まると被写体と観客による一対一の無言の対話を促し、観客を巻き込む効果があると学習した。続いて、大アザラシの血を嗅いだ犬が歯を剥き出した様とアザラシの皮を剥ぐイヌイットたちの姿のカットバックは、モンタージュ理論が適用されており、非常に劇映画的である。それ故に、彼らの日常はドラマティックに記録され、本シーンには緊迫感が与えられている。この演出(フラハティ監督の仕事)によって、観客はイヌイットの暮らしを単なる記録としてではなく、1つの現実に根差したドラマとして捉え、物理的な距離感がありながらも、ナヌーク一家を近しい存在として記憶したと推測する。一方で、こうした計画的(意図的)な撮影や編集で製作された本作を「純粋なドキュメンタリー」と呼ぶ事ができるのか疑義の念を抱いた(事実、「やらせ」映画として有名である)。
 加えて、雪・氷や波の泡(スープ)の白さと、人間や犬のシルエットの黒さ、これらモノクロの中のコントラストも本作の持ち味の1つと考える。真っ白な雪と氷の世界で活発に動く人間と犬の漆黒のシルエットから生命の力強さを見出した。
 さらに、朝日がナヌークの寝顔に差し込むラストショットは、飢えの中で狩りを行い、その日の天候と狩りの成果次第で命が左右されるイヌイットの暮らしについて考えさせる。一日が終わり、また新たな一日が始まる。新たな一日を迎える朝に彼らは何を感じるのか、映画の終わりと共に自身の中で展開される彼らに対しての想いに気が付いた。つまり、ドキュメンタリー映画とは、コンテンツ自体が第一である一方、人々に情報(コンテンツ)を適切に届ける事ができるか否かという目的において「演出」は必要不可欠であると学んだ。