レインウォッチャー

トリコロール/青の愛のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

トリコロール/青の愛(1993年製作の映画)
4.0
青は《自由》。
キェシロフスキ監督の『トリコロール』3部作の中で、最もエモーショナルな一編だと思った。

何からの《自由》なのかといえば、「喪った愛からの」ということになるだろうか。不慮の事故で夫と娘を同時に失ったジュリー(J・ビノシュ)、彼女は一切合財を捨て去ることによって、喪失から逃れようとする。
しかし、過去は彼女に追い縋ってきて、逃げることを許してくれない。それは深夜に叩かれる戸や、納屋に住み着いたネズミ、そしてふとしたときに聴こえる音楽…等々によって表現され、彼女の想い出を揺り起こす。ちょうど、彼女がよく独りの時間を過ごすプールの水面に立った波にも似て。

また、夫への想いと娘への想い、それぞれがジュリーの中で別個に存在する。彼女は、一度はまとめて捨てようとしたそれらの両方を整理して向き合わねばならない。
やがて彼女が到達する答え=《自由》は、ひとつは昇華、そしてひとつは思いもよらない形での継承(託す)という方法だった。そして、両者はやはり強く結びついてもいて、深い納得感を残すものだ。

何かしらの喪失とそこからの再生を描いた作品は少なくないけれど、中でも今作は限りなく詩的でありつつリアル、誠実だと感じた。
劇中では、ジュリーが独りで物思いに耽ったり、仕事や生活に打ち込む様子が度々じっくりと時間を取って映される。ジュリーは表情も言葉も豊かな人物ではないけれど、それら時間の中でのちょっとした仕草や扱うアイテム、周囲の細やかな出来事によって、彼女が抱える傷や思考への共感(のきっかけ、でもそのきっかけが多分大事なのだ)が静かに積み上げられていく。

タイトルに違わず、映画は冒頭から常に青によって包まれている。中でもいくつかの場面で登場する、ジュリーの顔に反射してゆらめく青が印象に残る。

どの色にも同じことがいえるけれど、与える感情には二面性がある。青は心を落ち着かせる色であると共に寒々しい。そして、それは愛もまた同じなのではないだろうか。
今のジュリーにとって、青は、そして愛は、一体いずれの面を彼女に見せ、取り囲んでいるのか?それをジュリーと共に流れ揺蕩いながら考えることが、この映画を観ることなのだろう。

今作では音楽が大きな要素として絡んでくるけれど、まさに音楽には《ブルーノート(=青い音符)》と呼ばれる技法がある。メロディの一部の音程を微妙に下げることによって、ブルースやジャズらしい憂いを生むものだ。
その瞬間は不協和音、つまり傷の痛みが走るといえるけれど、それを経てしか得られない恵みがある。ジュリーが受け入れた《青の愛》と同じように。