ぼンくらマン

日本のいちばん長い日のぼンくらマンのレビュー・感想・評価

日本のいちばん長い日(1967年製作の映画)
5.0
 日本映画の最高傑作の1本ではないでしょうか。

 本作を初めて見た時、終戦のその日を必死に生きた日本人たちの、あまりにも生真面目で必死な姿に、思わず襟を正したくなるような思いで鑑賞しました。1945年の8月15日。教科書で誰もが習ったこの一日の裏に、これほどの混乱が、明日の日本をかけたギリギリの駆け引きと熟考が、そして儚くも散っていった若き理想の数々があったとは。初めてこの映画を見たときは、この映画そのものよりも、そんな精神性のようなものに胸を打たれてしまいました。その後、折に触れ、太平洋戦争中の出来事を調べたりすることもありましたが、そのきっかけになったのは多分本作であったと思います。

 さて、そんな堅苦しいことを述べましたが、それ以前にまず、この映画、純粋に一本の娯楽映画として非常に質の高い一本です。

 全編モノクロの、ドキュメンタリータッチ的な本作は、1945年の8月14日から、翌日正午にかけての24(トゥウェンティフォー)。そのわずか一日の間に起った、知られざる戦いの物語です。どれか一つの、ほんの小さなボタンの食い違いが、この国が亡くなっていたかしれない。前半部の息詰まるポリティカルサスペンス、そして後半、それまでの緊張が決壊するかのごとく、怒涛の勢いで展開される、青年将校たちのアクション。一粒で二度おいしいこの映画、一本の群像劇サスペンス映画として、抜群に面白い。

 映画は大きく分けて3部構成。この3部構成が、20分、1時間、1時かと、驚くほど精密な時間配分で分けられています。

 映画は、まずはポツダム宣言を受け取る、1945年の7月26日からスタート。ここから約20分、仲代達矢のナレーションによって、真珠湾の奇襲に始まる太平洋戦争のおおまかな流れが解説されます。ここでは、実物の、焼け野原と化した東京や、黒焦げの遺体、兵士たちの無残な遺体を映した数々の資料映像や写真が登場。この時点で、観ているこちらの居住まいを正されるかのような気持ちになると同時に、この事実の重さをあっさりと飲み下す、この映画の泰然とした風格にも圧倒されます。

そして映画が始まってきっかり20分経ったその時、画面いっぱいに映った時計の針が、8月14日の正午を指し示したその瞬間、ついにタイトルシーン。まさにここから、文字通りの、「日本の一番長い日」が始まるのです。

 岡本喜八監督を、僕はこの映画で知りました。そして、この映画一本で彼のファンになりました。こんな重厚な大作ながら、まるでPV出身の監督のセンスを思わせる、スタイリッシュで小気味のいい編集のテンポ。ここでカットを切るか?という、コンマ1秒ずれたところでカットが切り替わる。編集点がワンテンポ違うんです。そして、そんなリズミカルな編集にピタリとはまる、変化球的な構図選び。これらすべてがカッコいい。

 刻一刻と迫るタイムリミット。短いカットが重ねられるたび、映画が白熱していきます。しかし、その会議で一人、反対の立場を貫き通す阿南。ここで冒頭の、あの映像の数々がちらつきます。せめてあの散っていった名もなき人々に顔向けできるようにと、彼は一人、その亡くなった魂を背負っている。いや、彼だけではない。官邸の会議室にいる全ての大臣たちの背中に、国民の命が懸かっている。実話であるからこその重みと切迫感がひしひしと伝わってくるからこそ、会話劇の連続でありながら、この前半、まったく退屈しません。

 そんな雰囲気ながら、観ている途中、「ああ、こういうの、俺分かるわ。」と、思ってしまう、時間と戦うあるあるが散見されてしまうのがまた何とも面白いのです。歴史を決する、こんな重大な一日であっても、いざ蓋を開けてみれば、誰もが一度は経験するであろう「時間遅れますあるある」があったと思うと、歴史の中枢にいた彼らが、何とも人間臭い人物に思えてきます。

「疲れた・・・・長い一日だった・・・しかしその長い一日もやっと終わった・・・」

「しかし彼らのその考えは間違っていた!長い日は終わるどころではない。今やっと、半分を過ぎたばかりなのであった!」

 ここにて再び、今度は深夜の12時を時計の針が告げ、更なる怒濤の展開が始まります。

 ここからはまさに後半「戦」、冒頭20分が終わってから、ちょうど1時間、ここからついに、クライマックスの大見せ場へと突入するのです。

 思えば、前半部の主役は政治家たちでした。彼らを演じるのは、三船敏郎、笠智衆、山村聡、宮口精二、志村喬、島田正吾、加藤武、藤田進・・・日本映画全盛期を飾った、錚々たるベテラン俳優たちです。

 対してこの後半は、そんなベテラン俳優たちの「静」の演技と対をなす、青年将校を演じる若き俳優たちの、顔中汗にまみれた「動」の演技が炸裂します。

 終始目玉をひん剥いた黒沢年男の、延々怒鳴りっぱなしの(それでいて、どこか若さゆえの未熟さを感じさせる)鬼気迫る演技をはじめ、この映画ですっかり好きな俳優になった高橋悦史、そして、ギャグレベルにオーバーアクトな天本英世(彼はれっきとしたベテラン俳優ですが。)。玉音放送のレコード奪還を企てる青年将校たち相手に、毅然と対峙する侍従たち。その息詰まる死闘。無論、その結末がどうなるかは、歴史を知る観客誰もが知る通り。しかし、結末が分かっていながら、そのスリリングさから目が離せない。たった一枚の、しかしこの国の歴史を左右するレコード。その1枚のレコードをめぐる圧巻のサスペンスがノンストップで展開されます。

 1945年、8月14日。明日の歴史など誰も知らない世界で、男たちが繰り広げた、真夏の夜の闘いの記録。その戦いの裏で、ある者は散り、あるものは生き延び、ある者はこの国の未来へと引導を渡す。各々が各自の8月15日を迎えると同時に、玉音放送が流れ、同時に映画は終わります。その終焉は、今までの混乱が嘘のように、大人しく、呆気ない。しかし、それこそが、1945年の、8月15日というその日なのかもしれません。

 佐藤勝の重厚なエンディングテーマが素晴らしい。まるで、この戦争で命を散らせたすべての人々へ向けられた鎮魂歌のような曲。

 「今日」というこの日が、どれ程の綱渡りの上で存在した日であったのか。そう思わずにはいられない1本。なおかつ一本の映画としても、大変面白いこの作品。必見です。