密かに、こっそりと
見る人が見れば、
「あ~、なるほどね」って、
そう感じる映画があるとすれば、
この映画こそそんな類いに相応しい。
というか、
この映画をただの変態な映画と決めつけてしまうのは非常に勿体ないと思う。
過激な描写が多いだけに、
そちらの方に目が行ってしまいがちだけれど、
この問題作の根底に流れる繊細さって、
感じようと思わなければ感じ取れないからもどかしい。
かく言う僕も、
映画終了10分前くらいにようやく作品との波長が合い始めた始末。
う~ん、エンドクレジットで流れたCHARAの曲にやられたのかな。
何故だか号泣してしまったのだからなんとも不思議でしょうがない。
でも、今思えばこの映画はそれくらいでちょうど良かった。
むしろ、全編通して波長が合ってしまうってのは、それはそれでどうかと思う。
冒頭、
イヤホンを外した主人公ルイの耳に飛び込んで来る騒音。
それこそが彼女に開かれた世界。
彼女はその世界で、
自暴自棄を味方にして、
体にぽっかり穴をあけ、
皮膚に絵具を注ぎ込む。
苦痛を伴うそんな行為一つ一つを彼女が真に望んでいるように見えるからこそ、
こちらも幾分か安心して傍観することができる。
観客として適当な距離感さえ保つ事ができさえすれば、
たとえ彼女がどんなにその自棄をエスカレートさせたとしても、
ある意味デカダントなエンターテイメントとしてこの作品を楽しむ事ができる。
そしてそれが耽美ですらあるとも思えてしまう所には、
もはや魔力が潜んでいると思う。
だが、
後半になって彼女が心の根に持つ虚無をちらつかせ始めるや、
一気に彼女の空っぽな心へと周波数が合い始めてしまう。
すると、もうダメ。
自分の空虚さを見せつけられているようですごく辛くなってしまう。
人がみんな空虚だとは決して思わない。
しかし、少なくとも僕は日々の幸せな生活の中にも虚無感を感じる事がある。
でもそれが当然だよなって、
ニヒリストを気取って、
どうにか生きている。
虚に対する反動で僕らが日々を彩り豊かに生きているんであれば、
それってルイが苦痛に身をよじり、
セックスに明け暮れていたのと、
図式としては同じなんじゃないか。
ラストのカットで見せた彼女の表情が妙に鮮烈な印象だったのは、
彼女と自分を重ねてしまうという禁じ手をやってしまったからなんだろう。
そのタイミングでCHARAの曲がかかれば、
そりゃもうね、
泣いちゃうさ。
うん、密かに、
こっそりと、
僕はこの映画に向き合いたい。
決して、吉高由里子の胸目当てじゃありませんからね。