レインウォッチャー

スリング・ブレイドのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

スリング・ブレイド(1996年製作の映画)
4.0
レオーネ・アバッキオが好きな映画。

12歳で自分の母親とその愛人を殺して以来、精神病院で生きてきたカール(B・B・ソーントン)。20年以上を経た今になって半ば追われるように退院処置となり、身寄りもなく故郷の街に戻るが、ランドリーで出会った少年フランクを始め、実直に他者と交流し絆を築いていく。

これは、真の自由とは、つまり魂の解放とは何かを問う映画だ。

オープニングからして滲み出る凄み。
病院の娯楽室らしき真っ白い部屋で、窓からじっと外の庭を見つめ続けるカール。彼は、横で犯罪歴を武勇伝のようにしゃべり続ける男の話を聞き流している。そこから、カールを取材に来た女学生が現れて、一転、舞台はオレンジの電灯のみがカールの横顔を照らす暗闇の部屋へ。

この明→暗、白→黒のビビッドな対比が、決して饒舌ではないカールの内面の多様性を深く深く想像させる。その後も、さりげなく細かい所作の描写(借りたベッドの皺を立ち去り際に伸ばす、とか)の積み重ねが巧く、彼の人物像をリアルに作り上げていく。

カールにはどうやら自閉症的傾向があって、それゆえに故郷では肉親を含めた周囲から迫害され、孤立して育ったことがわかってくる。劇中ではぽつんと遠景の中に彼やフランクを置いたカットが散見され、彼らの寂しさを強調する。
だから、カールにとっての退院は決して「自由」ではない。行き場が見つからず、さまよって、一度は病院に戻ってくるカール。

過去の罪から逃れられないことを自覚している彼が、それでも何か生きる意味を見出したのは他者との関係性の中だった。少年フランクと彼の母親でシングルのリンダ、彼らと過ごした時間、生まれた愛着の中にこそ救いはあり、それは彼にとって聖書よりもリアルなものだっただろう。

彼は自死や実父への復讐を選ぶこともできたが、ラストにまったく異なるとある選択をする。その結果は必ずしも「正しい」とも「幸せ」とも言い切れないものだけれど、わたしたちは誰も彼の生を否定できない。

そして『ジョジョの奇妙な冒険』第五部で最も芯が熱い男といえばアバッキオ、彼がこの映画を好きという設定は納得できるし、胸に迫るものがある。

アバッキオもまた過去の後悔と共に歩み、生きながら死んでいるような人物だった(「兵隊は何も考えない」)けれど、ブチャラティやジョルノたちとの旅の中で心の尊厳を取り戻す。
彼の行き着く先もまた決してハッピーエンドではなかったものの、確かに救われていただろう。

カールも、アバッキオも、誰かに「託す」ことを選ぶ人物だ。わたしはどんな強靭なスーパーヒーローよりも、その姿に共感してしまう。
きっとその行動こそが、ヒーローにはなりきれなかった者が手にし得る自由のかけらであり、平穏で、勇気であると信じられるからだ。

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音楽は名プロデューサーでもあるダニエル・ラノワ。ピアノから浮遊感ある電子音まで、静謐で内省的な音楽がカールの心の旅に寄り添う。

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ふとした不意打ちでジム・ジャームッシュがカメオ出演。