『國民の創生』を変奏する傾向は既に見られるのでは。しかし軽蔑対象(黒人→ドイツ軍)と崇拝対象(KKK→フランス/アメリカ軍)を変えたところでね…。
反戦映画としての側面は悲惨で、同時にドイツ軍の糾弾も行っているために攻め込まれる町の描写と死体/死人へ対するグリフィスの意識はリリアン・ギッシュのオーバーアクトも相まって確実に鋭さを増してる。
捕虜状態の彼女が鞭でぶたれて血を流すシーンの残酷さは『散り行く花』よりも更に酷く、敵をどれだけでも憎く描けるグリフィスは十分プロパガンダ監督としての器量を持っていたので、ここにエイゼンシュテインとの映画史的な連鎖も見いだせる。
もちろんウィルヘルム二世と議会のシーンにおける再現度は言うまでもなく、当時さドイツ将校フォン・シュトロームの部下でしかなかったシュトロハイムの原点も確認できる。
説教的な作風に落ち込んでいくブロックバスターグリフィスと、スージーの真心や散り行く花といったメロドラマグリフィスが共存している多重人格的な時期。あと結構露骨なドM男が出てきて引いた