猫ざんまい

県警対組織暴力の猫ざんまいのレビュー・感想・評価

県警対組織暴力(1975年製作の映画)
4.0
暴力団の抗争、警察と暴力団の癒着、警察管理職と刑事の対立を描いている。1分で引き込まれ目が離せなくなる。スピーディーな展開、強く印象的に残るシーンの数々、役者の演技、緊迫した雰囲気。素晴らしい。

例えば、裏切者をヒットマンが刺殺する場面。TVから終始「こんちは赤ちゃん」が流れている。もう、これだけでこの映画を忘れることはないだろう。

ヤクザが悪いことは明白である。しかしそんな単純な感想で済まされる薄っぺらなドラマじゃない。例えば若衆頭である広谷(松方弘樹)が、久能刑事(菅原文太)の安アパートへ自首してきたときに茶漬けを振る舞われ、きちんと茶碗を洗うシーン。凶悪な演技ばかりしていたのに、茶碗を洗う場面を見せることで、人間の多面性を描き、キャラクターを一層強く印象付けている。

刑事の菅原文太だって振る舞いはヤクザ同然である。ヤクザとの酒宴の席で彼は言う「警官になったのはピストルを持ちたかったからじゃ。戦争に負けてピストルを持っとるちゅうたら警官か麻薬Gメンだけじゃったからのう。お前ら分からんじゃろうが、あの頃は食いもんがなくてのう。闇米買い出しにに行く度にサツにひっかかって全部没収されよるんじゃ。ほいじゃったら没収する側にまわってやろうと思ってのう」

もう一人の刑事が言う「警官になったのは就職にあぶれたからじゃ」、ヤクザが返す「わしもじゃ」・・・警官になるかヤクザになるかは紙一重なのである。

捜査本部の管理職である班長(梅宮辰夫)の進め方は現場刑事から反発を買い、梅宮が悪者に見えるくらいである。事件後、梅宮は地元の企業に天下ってそれがまた憎たらしいのなんの・・。