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ワイルド・スタイルのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ワイルド・スタイル(1982年製作の映画)
3.9
 ヒップホップの4大要素とは?と問われたら、最近の若者ならきっと「韻、フロー、リズムキープ、アクセント」などと本気で答える人もいるかもしれない(それもある意味で正しい)。そのくらい近年のHIP HOPは、RAPやフリースタイルの比重が年々高まっているのも事実である。だが83年当時の4大要素とはDJ、ラップ、ブレイキン、そしてグラフィティだったのだ。現に今作ではマイクを握るラッパーが主人公ではなく、イリーガルに地下鉄をキャンパスに仕立てるグラフィティ・アーティストのZORO(リー・ジョージ・キュノネス)を主軸に物語は組み立てられる。80年代初頭のニューヨークのアンダーグラウンド・カルチャーに精通していたチャーリー・エイハーンが、今作のマスとコアのつなぎ役となるフェイド(FAB 5 FREDDY)と出会ったことで映画化に漕ぎ着けた奇跡のような事象の数々は、今では後のHIP HOPの原風景として永遠に記録されるのだ。1970年代のニューヨークでは、裕福な白人層(80年代的に言えばヤッピー)と黒人やラテン・コミュニティとの格差が日に日に拡がり、クロスブロンクス・エクスプレスウェイ建設に伴う大規模な地上げにより、黒人やプエルトリカンやメキシカンなどのラテン系たちは住まいを追われ、サウス・ブロンクスやブルックリン、クイーンズなどのいわゆる巨大公営団地「プロジェクト」へと追いやられる。

 だが貧しい貧民たちの巣窟となったその場は皮肉にも黒人とプエルトリカンやメキシカンらのルーツと文化を交配させ、行政の行き届かないところで新たな芸術が花開く。公園で電源をパクって行われるパーティも、ニューヨーク中を走る列車の操車場で夜な夜な繰り広げられる列車のボディへの落書きも、街の至る所で繰り広げられるラップやブレイキンによる過激な縄張り争いも、マインドの部分では殆ど大差なかった。白人ではない若い層の中には殆ど同時多発的に直径7マイルの間で2台のターンテーブルと数本のマイク、そして地面に敷かれた布とラジカセ、そしてやる気さえあればその現場がアートの最前線ともなり得るのだ。高校生の頃、それこそVHSテープが擦り切れるほど観て、大人になってからもDVDで繰り返し観た今作は古典であり、永遠に色褪せない。もはや今ではこの世から死滅し、ここでしか見られない貴重な映像の宝庫とも言える。たった直径7マイルの間で行われたサウス・ブロンクスやブルックリン、クイーンズにおけるこれら画期的な芸術活動はまだインターネットもない時代だけにローカルな口コミでしか共有されなかった。それをチャーリー・エイハーンとFAB 5 FREDDYは強引に1つのムーブメントに束ねたのだ。マイノリティたちの真に刺激的なアートはそれこそ白人や日本人たちにフックアップされなければ永遠に世に出ることはなかった。NEW WAVEとも親和性の高いこのムーブメントを強引に1つに纏めんとしたチャーリー・エイハーンの意思は各々のローカルの意思を吞み込んだようだ。

 ここで行われるパフォーマンスのその殆どはHIP HOPが生まれた初期の貴重な記録である。オールドスクール当時の映像や音声はそれこそブートレグのブートレグのような又貸しダビングでしか観られなかったが、今作の映像は粗いものの当時の貴重な息吹を伝えるのだ。公園でイリーガルに無許可で行われたこの祭典は『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』から10年以上経過しているがある意味、全ての文化が様変わりしている。Nasの傑作1st『Illmatic』では巨大公営団地「プロジェクト」で暮らす若者の焦燥が綴られていたが、今作は正に少年の当時の心境を代弁するような凄まじい作品で、映画には出演していないものの、すぐそばにはバスキアやキース・へリングもいたのだ。
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