るるびっち

サンダカン八番娼館 望郷のるるびっちのレビュー・感想・評価

サンダカン八番娼館 望郷(1974年製作の映画)
3.8
昭和の女優はよく脱がされた。
売れるために脱ぐのもあるが、むしろ売れてる女優を脱がそうとする。
名のある女優の裸で客を呼ぶ、映画製作者たちの女衒根性だ。
本作は女の裸を利用した国や男たちを批判しているが、その批判映画ですら高橋洋子の裸に頼っている。
同じ穴のムジナが批判していると言う、片腹痛い映画。

昔はアイドルの南野陽子も脱いでいた。昭和の映画人は、女優に限らず売れるタレントを片っ端から脱がす。
「女優を追い込み、脱がすのが監督の腕」という証言もある位だ。
芸術気取りで、実は女優の股で飯食ってる連中がゴマンといたのである。全裸監督ならぬ女衒監督たちだろう。

本作での高橋洋子は、田舎の無垢な少女と辛酸を嘗めた娼婦を演じ分ける。顔つきがまったく違う。短期間で撮ったとは思えず、大人になるのを待ったのかと見紛うほどだ。
それほど演技力があって、脱ぐ必要があるのだろうか?
勿論、娼館の話だから脱ぐ必然性はある。
しかし実際に全裸や胸が見えるシーンは、入浴や独りベッドで放心している所が多い。肝心の濡れ場では、男が邪魔して手足以外は隠される。
裸がなくても成立する。
期待の新人だった高橋洋子の裸で釣ったのじゃないのか?
からゆき批判をするのに裸を利用する。
いや、からゆき批判の大義を利用して新人を脱がせただけでは?
逆に高橋洋子を脱がせたいから、もっともらしく企画したのでは?
所詮ビジネスですから。

村社会の日本では異端者は嫌われる。
たとえそれが、自分たちの為に犠牲になった恩人であってもだ。
異端者は恥部だの穢れだのと、嫌われてしまう。
海外での辛い経験以上に、望郷である日本は彼女らを温かく迎え入れる所か冷淡に扱う。売られた先より故郷の方が生き辛い。
それが日本。貧しいのは経済より心である。

本作が白眉なのは村社会の故郷で屈辱を受け、ようやく生を全うしようという老女に鞭打つ所だ。
それも迫害者が鞭打つのではない。彼女の辛苦を掘り起こしたいと願う女性研究者によって、セカンドレイプ的な迫害を許してしまう。
味方のハズの女性研究者が、老女を困らせる。
批判する対象に自分自身が陥る罠を、キチンと見据えている。
この厳しさを描いてるのが素晴らしい。ただ脱がせてるだけではない。

現代も日本人の気質はあまり変わらない。
ドロップアウトした異端者への対応は冷たい。
生活保護者・シングルマザー等を無視して救いの手を差し伸べない。
自己責任、自業自得と切り捨てる。
村意識は変わらない。女衒根性以上に質が悪い。
ただ国力が衰えたせいで、ドロップアウト組がどんどん増えている。
生涯結婚できない人たちが、マイナーからメジャーになりつつある。
異端者を迫害している内に、9割が異端者になる。
自己責任なんて言って、異端者やドロップアウト組に唾掛けている内に、自分も唾掛けられるだろう。
それに気づかないなら滅びるしかない。
日本に背を向けるのは、少数ではなくなるだろう。
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