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『先生』に投稿された感想・評価

3.9
本作は1967年のアンドレ・カイヤット監督の作品だ。カイヤット監督は若い頃弁護士をしていたという変わった経歴を持つ映画監督で、法律や道徳観、犯罪や正義などの絶妙なところで展開される物語を得意としており、国際的な評価も非常に高い監督だ。特に『裁きは終りぬ(1950)』と『ラインの仮橋(1960)』はヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子を獲得している。
主役の教師ドゥーセを演じるのは人気シャンソン歌手のジャック・ブレルで、誠実でありながら窮地に追い込まれる先生を見事にこなしている。ドゥーセの妻スザンヌは『ヒロシマモナムール(1959)』や『愛・アムール(2012)』のエマニュエル・リヴァ、村長役は『現金に手を出すな(1954)』でジャン・ギャバンの相棒役だったルネ・ダリー等の演技巧者が出演していて、物語の胆となる子役の少女たちを支えている。

この映画のファーストカットは少女がカバンを持って走っているところだ。それもかなりのスピードで泣きながら走っていて、よく見るとシャツの胸元がはだけている。この走る少女カトリーヌを前方から一緒に走るように捉えた、約一分間持続する最初のカットの異様さを見逃してはならない。

彼女は家に着くやいなや、母親に挨拶することもなく2階の自室にこもって泣いている。心配した父親は、映画において鍵のかかったドアの最適な開け方である体当りで中に入るのだ。そして住民のトラブルの相談役である村長を呼んでカトリーヌの話を聞いてもらう。カトリーヌは担任の教師ドゥーセからキスをされ、さらに胸を触られて恐くなって逃げ出したというのだ。
当然村長はドゥーセに事情を聞きにいくが、ドゥーセは寝耳に水といった様子だ。そして同じ学校で働くドゥーセの妻スザンヌが横から「あのライターと村人の陰口のせいよ」と言い、物語を前の金曜日へフラッシュバックさせる。

その日ドゥーセの教壇に綺麗に包装された金のライターが置かれていた。彼は贈り主に名乗り出るように言うが、誰も反応しない。そんな中、日曜日には村のお祭りがあり生徒たちもドゥーセも楽しむのだが、翌日の月曜日からカトリーヌの態度が変化する。成績優秀だった彼女が一切宿題をしなくなり、毎日課題は0点が続く。そしてドゥーセはカトリーヌを居残りさせ、なぜ宿題をしないのか尋ねる。このとき着ているカトリーヌのシャツが映画の冒頭で彼女が着ているものと同じなので、例の日であることが分かるだろう。当然まだシャツは、はだけていない。カトリーヌがドゥーセの写っている写真を持っていると、ドゥーセは事前に妻から聞いていたので、写真についても追及する。すると海パン一丁のドゥーセが写った写真を彼に返して、カトリーヌは静かに教室を出ていく。というところで現在の時制に戻り、村長が困惑しているので、スザンヌが助け舟を出す。彼女の考えでは、恋する少女カトリーヌがその相手に子ども扱いされて侮辱されたから、復讐するために芝居したというのだ。

しかしカトリーヌの両親としては泣きながら帰ってきた娘が嘘をついているとは思えず、村長に説得されるも告訴に踏み切る。そして学校に警察がやってきて生徒たちの事情聴取が始まると、噂がすぐに広がってしまうような小さな村なので大騒ぎとなる。これだけでもドゥーセとしては大変なのだが、警察が事情聴取を進めるにつれ、他にも被害を訴える女生徒が2人も出てくる。一人はエレーヌといって、採石場を経営する村の有力者の娘だ。エレーヌはドゥーセの愛人で祭りの夜に、2人で森の小道でいかがわしい行為をしたと警察は思っている。2人の警官が少女エレーヌに向かって「お前は処女か?」などとかなりデリカシーの無い尋問をするのが、今日的な観点では少々気になるがエレーヌはドゥーセとの関係を否定しない。自宅で警察と話しているときに父親が帰宅し、事の次第を汲みとるとすぐに、棒切れを持ってジープに飛び乗る。エレーヌは父が激昂してドゥーセを殴りに行ったと察知し、学校の名簿かなにかを取り出して、ドゥーセの電話番号を探し、父に気をつけるよう電話する。

もう1人の少女はジョゼットという肉屋の娘で、放課後に警察に事情聴取されることになると、一度家に帰り、よそ行きの服に着替えて嬉々として学校に向かうお調子者だ。

本作は彼女らやその友人達の証言やドゥーセの話に基づいて何度も現在と過去が、行ったり来たりしながら描かれるという構造で、彼女ら3人がもし嘘をついているなら、なぜ嘘をつくのか、そして3人が共謀したものなのか、それぞれ別の思惑があってのことなのかというのが焦点だろう。証言とフラッシュバックでの映像の微妙な差異によって真実が次第に見えてくるというミステリー作品のような展開となっている。

終盤の学校での現場検証の際、あえてカトリーヌの証言通りに行動して真実を暴くドゥーセの姿が感動的だ。そしてやはりファーストカットの、カバンを持って走るカトリーヌの長回しの異様さに注目するということが決定的に正しいと言えるのだ。

人気者の先生が、少女に手を出したという疑惑が膨れ上がり、いつの間にか村八分となっているという映画は、最近ではデンマーク作品のトマス・ヴィンターベア監督の『偽りなき者(2012)』がある。こちらはまだ幼女ではあるが設定が似ているので合わせて鑑賞するのも面白いだろう。
カイヤットらしい嘘と心理を交錯させた作品。教師が生徒の嘘による冤罪を晴らすまで。「愛のために死す」(70)は、本作の発展形。