はまち

神童のはまちのレビュー・感想・評価

神童(2006年製作の映画)
4.0
すこし私の話になってしまいますがお許しを。

私がこの映画を観たのは、
ピアノ教室を辞めた後だった。

10年ほどピアノを習っていたのだけど、
そしてピアノが大好きだったのだけど、
ピアニストになりたいわけではないし、
始めたきっかけも単にピアノ弾けるようになりたい!という無邪気な子供心からだった。

けれど
ただの子供心で習うには10年は私には長過ぎたのだと思う。
かといってピアノで大成するには短い月日。
とても中途半端に音楽に関わってしまった変なモヤモヤ。

音楽とかって、才能があるかないかの世界だと思っていた。
私は自分にピアノの才能があるのかないのかわからないまま続けていて、
だんだん、もし才能がないなら続けても意味がない、そして才能がないことを思い知りたくないと怖くなり、
私にはピアノの才能などあるはずがない、
と勝手に決めて、程よく逃げただけなのだと思った。

辞める理由というよりは、続けられない理由がほしかった。

この映画を観た時、この2人が心底うらやましかった。
何かときちんと向き合うことは大変だけれど素晴らしいこと、
そしてその先の景色は美しいのだと思い知らされた。
才能とは、あるかないかではなく、自分で開花させるかさせないかなのだと感じた。

成海璃子の演じた少女ウタは、神童と呼ばれている。
神童という言葉は、子供の時にだけだ。
大人になるにつれ、悩んだり壁にもぶち当たる。
神童と呼ばれた過去を恨みたくなったりもする。
だけど、忘れていない。
自分の中の音楽の立ち位置を。

彼女はもがきながらも自分を見失わないよう生きていた。
他を疑っても自分だけは必ず信じる、時にはそれが自分を苦しめることになっても、
自分の中での音楽の在り方、それを他者に決めさせない強さこそ才能なのだと思った。

そして突きつけられる。
音楽に才能は関係ない。
自分が楽しいか楽しくないか。
ピアノの技術を磨き極めることも、
それがちゃんと楽しさの延長線上にあるかどうか。
自らが音楽になれるかどうか。
上手に弾けること、難しい曲を弾けることイコール才能があると勘違いしていた私はピアノが楽しくなくなっていた。
もっと言えば、勝ち負けの世界だと思っていた。
もちろんそういう部分も実際にはあるけれど。
上手いか下手か、勝ちか負けか。
そんな価値観の中では楽しくないし上達もしないし弾いていてもつまらないというループにハマった。

そしてこの映画を観て、ただ泣いた。
勘違いを正され、そして癒され、慰められた気がした。

音大に入るという目的があってピアノを懸命に練習する高校生のワオと、
神童と呼ばれる天才ピアニストのウタ。
二人はそれぞれの立場で悩み葛藤しているが、
言葉では説明できないところで、同じプラグで繋がっている。

ウタはどれだけ周囲に「上手い」や「勝ち」を求められても自分の中の音楽の芯をブレさせることはなかった。
それはきっとワオとの出会いを通して確固たるものにできたと思うし、
ウタもまた、自分とはまるで違う境遇でピアノを弾いている少女の苦悩に触れて新しい音楽への価値観を知る。

その化学反応、共有と共感と共鳴。
奇跡的で美しく尊いもののように描かれているけれど、実はとても単純で、
無邪気な子供心とか、音が鳴る楽しさや面白さとか、そんなところなのだ。
でもそれこそが音楽の音楽たる所以だと、原点に立ち帰らせてくれる。

劇中に何度も使われている、エンディング曲にもなっている「ripple song」も本当に素晴らしい。
おそらくオリジナルだと思うけれど、
ピアノを習い始めたばかりの子供が弾きそうな感じのカワイイ曲でどこか懐かしい気持ちにさせる。

全体的に暗いトーンの作品ではある。
が、そのおかげで、2人の純粋さやメロディの美しさが際立った。
月並みな言葉を使うならば、心が洗われる映画。
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