みやび

食人族のみやびのレビュー・感想・評価

食人族(1981年製作の映画)
4.7
「食人族」を追うドキュメンタリーの撮影で、アマゾンの奥地に入った男女4名のクルーが消息を絶った。
人類学者のモンロー教授は、4人の雇い主であるテレビ局から依頼され、クルーたちの捜索とフィルム回収のため現地へ飛ぶことになる———

本作は大きく二つの部に分けられる。
第一部は行方不明になった撮影隊の捜索の為にモンロ一教授がアマゾンに潜入し、そこで部族の文化に触れる。
第二部では撮影隊が残したフィルムを観ることを通して現代人の残虐性を浮き彫りにしていき、面白いものが金を生み出し、そのためならどんな暴挙も許される、というエンタメ至上主義的な考えが生み出す「残虐性」が描かれる。
作中の人物たちがフィルムを観るという姿が本作を観ている私自身とリンクする、といった作りになっている。

残虐な蛮族はいったい誰なのか。
本作では食人族と呼ばれる彼らと文明社会に生きる私たちを対比させながらこのような問いが投げかけられる。

映画『食人族』と聞くとあの強烈なポスターが思い浮かぶ人が多いだろう。
人間が串焼きのように木の棒に突き刺さったグロテスクなものである。
一度見たらなかなか忘れることのできない強烈な印象を受ける。
ポスターと宣伝文句に惹かれ、ホラー・スプラッター映画好きは本作に対する期待値が上がるに違いない。
このことから多くの人の本作を観る動機とは「珍しいもの見たさ」なのではないだろうか。

本作はモンド映画と呼ばれるジャンルにあたる。
モンド映画とは真実を撮っているという程で観客の好奇心を誘い立てるための嘘のドキュメンタリーであり、所謂「ヤラセ」の作品。
モンド映画の大半は作品内で「ヤラセ」であることが明言されるため、観る側はフェイクとして作品を消化することができるが、時に「ヤラセ」であることを隠している作品も存在してしまっている。
そうなると観る側はこれらの作品のどこまでがリアルでどこからがフェイクかを判断することが難しくなってしまう。
某テレビ番組などがそうであるように、視聴率を稼ぐためならどんな手段も問わないフェイクが横行している現実があり、富と名声のためや、珍しく面白ければ真実などどうでもよく「ヤラセ」も許される、という考えがエンタメ業界にあるのかもしれない。
これらの考え方は観る側である私たちにも共通する。

文明社会に生きる「理性的」な人間と未開の僻地に生きる「野蛮」な人間。
これを定義したのはいったい誰か。
金のためなら、人を傷つけ、殺し合うことも厭わない文明社会が本当に理性的だと言えるのか。
人を食うなんて倫理的に大きく間違っている、というのは文明社会が決めたルールであり、僻地には僻地の環境に応じたルールや営みがある。
ただ「面白いから」「金になるから」と僻地にズカズカ入り込み暴挙に明け暮れる様子を観てしまうと、『食人族』というタイトルの意味はカニバリズム的な「食人」ではなく、私利私欲のために人を搾取するという意味の「食人」なのではないかと思えてくる。

豊かであることが正しいとする考えから現代社会は成り立っている。
社会を成り立たせるために大勢の人を犠牲にしているのが現代の資本主義社会である。
僻地のジャングルであろうと、都会のコンクリートジャングルであろうと私たち食人族は人を食らう。
ラストシーンに映し出されるニューヨークのビル群が意味するものとは、人を食いながら成長を続けていく文明社会そのものなのだろうか。
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