架空のかいじゅう

ストーカーの架空のかいじゅうのレビュー・感想・評価

ストーカー(1979年製作の映画)
5.0
大人になってから人生初タルコフスキー。

その「ゾーン」に侵入するチャンスはこれまで何度かあった。
宇宙モノ映画を鑑賞するたび嫌でも名前を耳にした「惑星ソラリス」。
テレビゲーム「The Witness」という骨太謎解きゲームの中で、冒険する島の謎を解き明かすとなぜか「ノスタルジア(未見)」のワンシーンがそのまま流れる謎演出。
坂本龍一のドキュメンタリーでも、音の使い方に衝撃を受けた映画、みたいな感じで出てきた気がする。
難解そう、高尚っぽい、眠そう、というイメージからどうにも踏み込めず、霧の向こうにぼんやり浮かぶタルコフスキーの輪郭を眺めてるくらいで丁度良かった。

昨年劇場で鑑賞した映画、中国新世代監督ビー・ガンのデビュー作「凱里ブルース」の余韻が醒めず、とっておきの作品になりつつある。
どうやらタルコフスキーの影響をモロに受けているのだとか。
先日、「凱里~」の中国語タイトルと、本作「ストーカー」の原作中国語タイトルが同じという記事を目にした。
奇しくもこのタイミングで近場ミニシアターはタルコフスキー特集。
そんなとき知人の児童文学マダムから、持て余した劇場招待券を譲ってもらい、こちらがゾーンの目前まで来てることなど知らずに彼女は
「そうね私のオススメはタルコフスキーよ」

これはもう、導かれているとしか思えない...。
(劇場まで来て招待券は使えない特集上映だったので、しっかりお金落としてきました)


劇場で!!初タルコフスキー。睡魔VSストーカー。

ファーストカットの酒場の時点で...
もう...もう永遠に見てられる気がしたよ...
くすんだ色合い、定点視点で目に焼き付く画と、古めかしいフォントのクレジットタイトル。ロシア語ちっとも読めないのがまた雰囲気出てる。
自分の記憶の中の、テレビゲーム「ファイナルファンタジー8」のウィンヒルという田舎町の酒場とシンクロした。
ゲームばっか遊んで育った世代としては、ゲーム界の草分け的な作品の多くが往年の名作映画の影響を受けていたんだと知るたび、点と点が繋がる喜びがある。

さらに霧の向こうにトロッコを走らせると、マイナスイオンむんむんな手付かずの緑に出会えるなんて...人生三本指に入るゲーム「ICO(イコ)」を連想せずにはいられない。「ベイグラントストーリー」も思い出す。濃霧と結界、魔都と静寂。テレビゲームで惹かれた要素の多くは、既に映画のなかにあった。

随分遠回りしたけど、おれ...ようやく、タルコフスキーに辿り着けたよ...。


思ったほど凱里ブルースを直接的には連想しなかった。
踏み込んだ土地の風土が違うことが大きいのか。全体の構成としてポエジーの効き方(??)が少し異なるからか。
ただどちらも抜群に魅力的な世界観と空間の広がりを、においや湿度などを、画の切り取りかたと「詩」「詩」「詩」によって増幅させることで実像の何倍も大きな世界の輪郭を立ち上がらせている感じ。
そして、とにかく余韻がすごい...心をすっかりゾーンに落としてきてしまったようだよ。

どうして余韻の強い映画に惹かれるのだろう。
その作品のことを長らく思い続けることができる強度に惹かれるのか。
現実のタイムラインに嫌気がさしたり絶望するとき、「記憶」や「思い出」が持つ円環的な時間感覚に心を放流させてやることで、何か救われるような想いがする。
どうして彼らはこうも余韻の強い作品を作ろうと思ったのだろう。作れたのだろう。
彼らの立つ場所から見える景色をもう少し近い場所で見てみたくなる。

人生の終わりに、これら蓄えた大切な記憶が人知れず霧散することさえも厭わないで去れるような...一過性の美しい光景を彷徨った気がする。
三人のオッサンが脳裏に永住している。凱里も含めると四人のおっさん。
これからタルコフスキーを知っていく楽しみができた。
できればいい環境で!!