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トウキョウソナタの遊のネタバレレビュー・内容・結末

トウキョウソナタ(2008年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

絶望的な現実と向き合うべきなのか、現実から逃げて空想のロマンに浸りつづけていていいのか、哲学(の入門)書を読んでるとだいたい「両極をリズミカルに行き来できればいいのだ」みたいなことがカッコよさげに書いてあって、ふうんそんなものかって思うけど ロマンに逃げ込めず現実の絶望地獄に呑まれていく人々を描いた映画を観る、っていうのは自分の絶望と向き合う行為の延長線に乗っているのか?自分の現実から離れた空想に浸る逃避行動なのか?そもそもこんな絶望を描いて作品にしてる黒沢清という人間は映画を生業にして空想のロマンに生きることに成功してんじゃないのか、現実と空想を二項対立で捉えるのをやめましょうよ、0か100でパッキリ分かれるもんじゃないんだからさ、っていうのが現代思想で出てくる「脱構築」か!!!すみません完全な思ったこと備忘録


濱口の「親密さ」に近いものを感じた アメリカ軍のとことか
この映画で、若者がアメリカ軍に従事しようと思う、と口にして親世代が俄には信じがたく頭を抱える感じはなんとなくわかる、今の若者が ま、とりあえず自民党でええんじゃないの...と言って親世代が頭を抱えるのと近いのかな 「それはさすがにおかしい」の感覚の世代差ってきっとしっかりあるのにいつもは隠れてて急に肝要な場面で顕在化するんだろうな

 
ハネケみたいな進み方と終わり方 エンドロールも その分、妙に希望的に終わるのが違和感だった 邦画の限界なのか?プロデューサーが暗過ぎる終わらせ方にNO出したのか?とか勘繰っちゃった

2008年もこんなに「昭和っぽい」家庭が普通だったのかな 父親がリストラに遭って家族に言えずに平日ウロウロしてる、ってのはバブル以降の定番図式か?プライドがあって見栄張っちゃう痛々しさ、監督も脚本も役者も全てが巧かった

役所広司の特別出演感がすごい 地べたを這いずるリアリティで進んで来てたのが、彼が現れた瞬間から一気に離陸して劇映画になる すげえフィクション顔とフィクション存在感 あんな奴現実に居ない あんな人の芸名が「役所」で昔は役所づとめだったことが由来なの面白すぎる

後半の展開がめくるめく激アツなぶん、「子供をそんなゴロツキたちと同じ空間の留置所に入れるか??」「音楽系の中学入試でそんなリサイタルみたいな実技試験やるか??」とか気になっちゃって まあエンタメだしいいか...と納得させてた

これも表現においてムズ過ぎ問題だけど、そろそろ「元エリートが転落後に就く屈辱的な仕事」として記号的に「トイレの掃除員」を出してくるの辞めた方が良いんじゃないかな 事実として「忌避される仕事」って多くの人が認識してるからその記号表現が成立しているわけだから「意図は伝わっている」んだけど、その表現が連綿と続いていくことは職業差別の意識を助長・強化することになってしまうんじゃないかなあ......ポリコレ過ぎるのかなあこれは
「転落した後に就く仕事として表現できるものは存在しない。なぜなら全ての仕事は平等に素晴らしいから」っていうのは綺麗事の建前すぎてあらゆる表現活動のBANに繋がりかねないもんな
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