Dakota

タクシードライバーのDakotaのレビュー・感想・評価

タクシードライバー(1976年製作の映画)
3.0
・腐敗の街に向ける孤独という凶器
【あらすじ】
タクシードライバーのトラヴィス・ビックルは、今日も夜のニューヨークで車を走らせる。目に映るは、相も変わらず荒れた街と人々。心底辟易する。そんな中、恋人も親しい友人もいない26歳のこの男は、深い孤独感と空虚な自身に苦悩する。負の感情はやがて、腐敗した街を「正す」凶器へと変わっていく…。

▼トラヴィスは一般的な人々と比べややズレた感性の持ち主だ。こだわりが強く、自身の考えを受け入れない相手を理解するのが難しい。近年注目されるようになった、大人の発達障害に近いものを感じさせる。

▼孤独で生き辛さを感じているトラヴィスは、人並みの生き方を求め行動する。選挙事務所で働くべツィをナンパし、映画に誘う。しかし、選んだ作品はポルノ映画で、激怒したべツィに振られる。「それほど悪い映画じゃない」と弁明するトラヴィス。おいおい正気か?

▼振られたことに納得のいかないトラヴィスは、彼女を罵倒する。「地獄へ落ちろ。地獄でほかのやつと腐っちまえばいい」。彼女の前でのそれまでの優男のイメージとは対照的な、恐ろしい豹変ぶりだ。この特徴的なキャラに、ロバート・デ・ニーロの演技がビタっとハマっている。

▼夜のニューヨークは、薬の売人やならず者、客引き、売春婦であふれかえる。トラヴィスは、彼らを「クズども」と罵り、そんな街の様子を「ゴミ溜め」と揶揄し強い嫌悪感を抱く。

▼加えて彼を襲うのは、変わり映えのしない単調な毎日だ。常に孤独感にさいなまされ、空虚な人生にうんざりする。そんなやり場のない負の感情は、街を汚す「クズども」に向けられる。「薄汚いウジ虫ども。お前らをのさばらせてはおけない。クソとケダモノと毒と淫乱がはびこる腐れ切った世の中に鉄槌を下す男がここにいる」。これはトラヴィスにとって「世直し」であると同時に、自分がこの世界に存在していることを訴える意味もあったのかもしれない。

▼トラヴィスは、家出中の12歳の少女アイリスと出会う。ギャングのスポーツという男に都合の良いように扱われ、彼女は売春婦として毎晩体を売る。そんなアイリスを助けようと、売春宿に乗り込むトラヴィス。全身に武器を仕込み何の躊躇もなく、ギャングを殺す。深手を負いながらも、右腕に仕込んだ手製のスライド式の拳銃で、元締めを瞬殺するシーンはしびれた。果たして、トラヴィスはただの殺人鬼か、それとも…。
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