大林宣彦作品。
尾道三部作をみなくては!と思い、某レンタルDVDショップにいきました。配信サービスではみれないことを知っていたんです。ショップには大林宣彦コーナーがあり『時をかける少女』、『さびしんぼう』も陳列されていました。そして並んで『転校生』が。私はタイトルを目にした瞬間、DVDを手にし浮き浮きで借りて自宅で再生しました。するとリメイク版でした。
部屋の寒さが私に染みてきました。三部作をみていないのにリメイク版なんてみたくないと思いました。
しかしどうしたことでしょう。このリメイク版もとてもとてもいいのです。
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舞台は尾道から長野へと。
尾道から引っ越してきた一夫と長野でそば屋を営んでいる一家の娘・一美。二人の久しぶりの再開は、ドラマチックな心体の入れ替えによって急変し、思わぬ方向へ。
キルケゴールの『死に至る病』を愛読している弘が、中学生とも一美の彼氏であるとも信じられないのだが、彼自体が物語のキーなんですよね。
心体の入れ替えなんてエロい話になりがちだ。実際、序盤はエロコメディとも言えてしまう。けれど二人は互いの生活を通して、家族の事情ーそれはシングルマザーや家父長制といっていいーを知っていく。学校では等しく制服を着て勉強する同級生であるはずなのに、実は〈私〉とは全く異なる「他者」。この「他者」の発見は大きな出来事であり、子どもから大人への「成長」とも言えるだろう。
この「他者」の発見によって、二人は理解し合い大人になっていくのかと思いきや、一美の体は病を患い死に至り始める。リメイク版のオリジナルパートだ。二人の心体は入れ替わったままだから、一夫は一美のために死ぬことを決心する。
しかしその決心は間違っている。誰かを愛するがために献身し身代わりになろうとするのであれば、死ぬことを代わるのではなく、生きることを代わらなければならない。それは死に至る絶望を代わることから生への希望を引き継ぐことである。それを本作では物語っているような気がする。
二人の一夜の旅。それは弘と一夫のガールフレンドのアケミに助けられながら行われたーそれもいいー、「大人」への旅。
彼らは性行為を通して「大人」になる、わけではない。むしろ一夫はそれを拒む。彼らは性行為を通してひとつになろうとするのではなく、むしろ〈私〉とは違う「他者」を「他者」のまま受け入れ触れるのだ。
朝を迎えた長野の寒山で二人は音楽を奏でる。一美が歌い、一夫が主旋律を弾くことによって。それは互いが互いのまま奏でるアンサンブルであり、とても美しい。歌うことは一美の病を治すことに関与はしない。しかしそれを聴く者に生への希望の活力を与えてくれるのである。
一美がこのまま死んでしまい「子ども」として表現されるのは純潔表象であり、疑問が残る。しかも生理から病への物語展開にも留保が必要な気がする。
しかし序盤のドラスティックな状況描写しかり、長野の街やそばを記録すること、絶望ではなく希望を語る本作にやはり深く感動してしまうのである。