やるせなさと憤り半々の気持ちで胸が締め付けられる、フィルム・ノワールの金字塔とも言える名作。
徐々に明るみになりゆく真相に興奮してからの、感情の行き場を奪っていくかのような結末に言葉を失ってしまった。
胸糞悪いってよりも、空虚感に襲われて最終的には「じゃあもうどうすればいいんだ」という子供のような感想しか出てこなくなる。
今でこそ蛇口を捻れば当たり前に出てくる水だが、この水の希少価値の高さが人々を狂わせ、人の命を奪っていく。
市民にとっては明日を生きるための命綱である一方で、政府や国家権力にとっては更なる富を得るためのいち「手段」に過ぎない。
物語中盤ではこの「チャイナタウン」という題名はどこからきてるのか疑問に感じることもあったが、終盤でそのメッセージ性に気づく。
ベッドの上でギテスがモウレーに語ったように、チャイナタウンは怠慢の町である。国家権力が怠慢であるが故にノアのような大犯罪者を見逃すどころか癒着さえして罪なき人間を抑圧する。
この作品のもっともやりきれない部分は、そんな怠慢なチャイナタウンに嫌気がさして街を出たギテスが、ただ真相を知りたいという思いで深みにハマった結果、ノアや癒着した警察に結果的に手を貸して愛する人を殺める結果となってしまったこと。
怠慢な町に2度心を殺されたと言ってもいい。水という資産を利用した社会構造に抗おうとするも、最終的にただの傍観者でしか在ることができない無力さ。
国家権力を腐敗させるような社会構造を利用した巨悪へ抗うことのできない無力さを訴える力なき正義、という見方をすると最近見たノーカントリーにも若干似たものを感じる。
監督のポランスキーが実際に垣間見た人生の闇、経験した地獄がこの絶望的な作品を生み出したのだと考えるとどうしてもフィクションとして鑑賞することができない。観衆の感情の着地点を失わせて宙に舞わせることで、観衆の印象に強く残すという彼の執念、まさに生きた証。
見せつけられた。