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汚れた英雄のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

汚れた英雄(1982年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

大藪春彦原作の同名ベストセラー小説の映画化作品。どこのチームにも属さない一匹狼の二輪レーサー北野晶夫。誰よりも速く走ることしか興味はない彼にとって、言い寄ってくる美女の群れも、栄光へ到達するためのスポンサーか道具でしかない。ただひたすらに世界のチャンプを目指す男の行きつく先は…。

角川映画の時の総帥・角川春樹が自らメガホンを握って初監督したハードボイルドなバイクレース映画。
日本映画でこれ以上にバイクレースにこだわった映画はいまだ登場していない。
この作品を入り口に原作を読んで欲しい作品である。

本作の主人公・北野晶夫は、原作では戦災孤児の虐げられた環境から這い上がった天才バイクレーサーの設定で、資金力のあるバイクメーカー等が運営するワークス・チームには背を向け、信頼する仲間とのプライベート・チームを率いてレースに参戦している。
「反体制・反組織の一匹狼が、世界各国のレース場のベストレコードを叩き出す」。その渇いた野望の為だけにストイックに生きるハングリー精神溢れる人物である。

その主人公を草刈正雄が見事に演じきっているが、そこには原作の持つ泥臭くてギラギラした欲望はない。
主人公のプライベートを徹頭徹尾クールでスタイリッシュな映像で描くため、原作を知らない者にとっては、まるで草刈正雄のPVのような映画に見えるだろう。

しかし、本来ならば、物質的に豊かになったバブル期の80年代に、飼い慣らされた男たちへのアンチテーゼなのである。
主人公の豪華な自宅、華やかな生活は「悔しかったら、己の力だけでのし上がってみろ!」と見る者に無言の内に訴えてくる。

企業がスポンサーのワークスレーサーに資金面で劣る北野が、金策の為にジゴロとして女性遍歴を重ねるのが題名の「汚れた」という部分の由来だが、その相手も新興デザイナーや外資系経営者など、成功の為に家庭の幸福に背を向けた強い女性たち。
お互いに自分の力だけを信じて孤独と闘う男女が、時折り安らぎを得るため身体を重ねるという対等でドライな関係性はいまだ斬新に映る。

台詞を極力少なくした主人公の生活の静かな映像表現と、動的なレースシーンに分けて描かれるため、レースは殊更ストイックな緊張感に包まれる。
北野の贅沢なプライベート空間や社交シーンの静けさと、500ccモンスターの咆哮が響き渡るレース場の喧騒との対比が抜群に美しい。
レーサーが気を集中させるレース前の無音のスローシーンから緊張感を高め、一気にレースシーンに突入していく冒頭はかなり秀逸だ。

また、CCDカメラも無い時代に車載カメラを駆使した迫力のカメラワークのレースシーンは従来の日本映画ではあり得なかった迫力。
ヤマハの正式ライダー平忠彦によるレーススタント、ポップな伊武雅刀の場内アナウンス、ローズマリー・バトラーの高音帯が冴える主題歌に乗せて疾走するバイクレースは間違いなく邦画の歴史に残るに相応しい興奮を与えてくれる。

劇中、原作にある戦後の暗い幼少期シーンがないのが心残りだ。
主人公の暗い過去は、比喩的にメカニックの母と息子に語られるだけ。
この母親と息子に対してだけ北野が見せる優しさに「汚れた俺のようには生きるな」という、物質的に豊かになっても消えない戦災世代の屈折した過去が見え隠れする。
そして自ら去っていくその背中は、限りなく孤独だ。

自分の中では、最も陰が深く、最も孤高な英雄として心に刻まれた原作の思い切った映像化である。
主人公のどうしようもない渇きは、今の令和の日本人には無い。
健全な作品では無いが、その渇きは想像に容易く、とても力強い。

この映画は、顔も良く、女にモテて、レースの才能もあるという恵まれた人間の物語ではない。
どこまでも満たされない渇きを抱えた男の成り上がりの物語なのである。
この作品をキッカケに原作を読んで欲しい。
男なら必ず惚れるだろう。
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