もしも《美少女学概論》の教科書があったなら、表紙はこのマチルダ(N・ポートマン)の他に考えられない。
それほどのショックがこの映画にはあり、『LEON』以前/以後という楔を90年代に突き刺した。頬を切るボブカットにハイカットブーツ、それにチョーカー。この鮮烈なヴィジュアルは広く呪いとなって、もしかしたらポートマンさん自身をも長いあいだ縛り付けたかもしれなかった。
しかしこのマチルダ、いま久しぶりに今作を見返すと、かなりイビツなキャラクターであるといえる。
イビツとはつまりアンバランスということで、年齢にしては完成され過ぎた顔立ちもさることながら、物語上の性格や役割の面であまりに多くを背負わされている。
たびたび映される彼女の横顔に、見惚れる以上にぞくりとさせられるのはなぜだろう。
荒れた家庭環境から、一足早く心が大人にならざるを得なかった哀しさ(※1)、そしてそれが故に生じてしまう美しさに、後ろめたさを感じるからだろうか。彼女は多くの場面で伏し目がち(視線が下)であり、演出以上の行間を想像させて余りある。
彼女がレオン(J・レノ)と交わすキッチンでの会話、不器用ながらも戯けて慰めようとするレオンに彼女が返すひとことが重たい。
" I've seen better days. "(※2)
つまり、「昔はよかったよ」。決して幸福とはいえそうにない家庭にあってなお、マシな思い出があるというのか。レオンと同じく、わたしたちには彼女を見つめることしかできない(※3)。
そんな子供と大人が同居するマチルダは、NY・リトルイタリーの裏社会でただただ孤独だった《掃除人》レオンにとって守るべき娘であり、甘えられる母(マチルダがレオンを「寝かしつける」シーン!)であり、穢れを知らない恋人となる。
要するに、女に期待するすべて、である。時に子供らしく拗ねたりふざけたり、と思えば「あなたに恋してる」などと挑発的な品を作って見せる。「ゆりかごから墓場まで」、あるいはここ最近のワードを使うなら「メスガキからバブみまで」。よくよく考えなくても業が深すぎる。
また、彼女は女神のようであると同時にファム・ファタル(悪女)的でもある。
思えば、レオンは彼女のおかげである意味で安定していた暮らしを狂わされ、彼女の望みを叶えるために振り回された挙句、愛の幻のために文字通り身も心も捧げる結果になった、ともいえるだろう。やはり、今作は少しチューニングを変えればナボコフの『ロリータ』や谷潤の『痴人の愛』に変換できる妖しさと共にある物語だと思う。
まあレオンは流石にプラトニックを守ったわけだけれd「ちょっと待った!
…ん?誰か何か言いました?
ー「ちょっと待った!と言ったんじゃよ」
あなたは…フ口イト先生!どうなさったんですか?いま忙しいんですけど。
ー「レオンとマチルダがプラトニックじゃと?ナッハッハ、ちゃんちゃらおかしいわい」
ええっ。何をおっしゃるんですか。少女とおじさんですよ。レオンは当然一線を守って、キスにも応じなかったじゃあないですか。
ー「レオンのイタリアでの過去を見てみい。奴はな、父権の抑圧によって恋人を奪われた、つまり一度《去勢》された男なんじゃよ。」
はあ…そんなもんですかね。
ー「そして、銃とはむろん男根の象徴じゃ。彼は終わりのない不感症の中で銃による殺し合いという擬似的な性交を繰り返しておったのじゃが、満たされることはなかった。それを救ったのがマチルダという存在なんじゃよ。つまりな、マチルダに銃の扱い方を教えるのは、彼らに許された唯一の「やり方」だったと言えんかのう。」
(マジかこいつ)
ー「安定とは停滞であり、死じゃ。マチルダの掻き回しはレオンに生を与え、ついにレオンはリビドーを解放し、ラスト近くの咆哮というオルガスムへと至るのじゃ。それを踏まえると、ラストシーンでマチルダがアレを「植えた」行為は、種を受け取った、という見方もできるかもしれんのう」
さ、さすがフ口イト先生。ピュアなわたしなんかではほんの1ミリたりとも思いつきもしなかった、えげつないことを考えますねぇ。
ー「ナッハッハッハ」
とにかく有難うございました、はい、お部屋はあっちですよ。え?ごはん?もう、さっき食べたじゃないですか。はいはい、あとでね…
…っと、なんだか変態の邪魔が入ってしまったけれど、マチルダの完全であるが故にアンバランスな設計について書いてたのだった。
でもこれは、単に彼女が過度に理想化されたキャラクターであるというわけではないようだ。というのは、エピローグにおいて彼女はレオンの世話役だったおじさんや学校の校長といった大人たちから「叱られる」からである。
彼らは、銃声に慣れ殺し屋に憧れるマチルダに、はっきり「異常」だと現実を突きつける。レオンと過ごした4週間は、彼女にとってもいわば夢、モラトリアムのようなもの。彼女はアリスの穴ぐらから引き摺り出されて、つまらねー社会の中に戻される。
彼女はあれからどうしたろうか?男としてはずっと憶えていてほしいと期待するところだけれど、彼女は意外と初恋の想い出としてさっぱり忘れて、弁護士か会計士とかとあっさり結婚したかもしれない。
こんな見方を、夢のない奴、とはどうか思わないでほしい。なぜなら、「だからこそ今作は美しい」と言いたいからだ。
いつも夕陽に浸かっているようなノスタルジックな色合いと、切なく砂の香りのするサウンドトラック。あまりに出来過ぎたひとときの記憶は、マチルダの造形ともちょうど重なって、《映画》であることを思い出させる。そして、夢も映画も、いつかは終わるという点で同じものなのだ。
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※1:レオンもまた、マチルダとは逆に「俺は先に歳をだけはとったが、これから本当の意味で大人になるんだ」みたいなことを言う。この乖離の感覚は、次作『フィフス・エレメント』でも変奏されて、「時間よりも生命(愛)が大事なんだ」という言葉になっているように思う。L・ベッソンさんのテーゼの一つなのかもしれない。
※2:吹替では「ちょっぴりかなしいの」とされている。良い訳だと思う。
※3:果たして演技なのか素なのかわからないのだけれど、レオンは時折口をぽかんと開けた恍惚とも言える表情を見せる。いずれにしても、結果的に彼を救いを待つ信徒のように見せている。