フワッティー

デカローグのフワッティーのネタバレレビュー・内容・結末

デカローグ(1988年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

これは人類の宝だ。

一時間の独立した話十篇からなる映画(もともとテレビドラマ用に作られた)。しかし、話を跨いで登場する人物・出来事もある。また、物語は閉鎖的な空間(同じアパートの住人という設定)で繰り広げられる。これらが、世界の縮図のような空間を構成し、この映画の普遍性をサポートする。もちろん、各話のストーリーが普遍的なのは言わずもがな。

時代の産物が所々に登場する。また、人物たちに接近し、離れ、ぼやかし、時にくっきりと撮り切る姿からも、この映画の「記録する」というコンセプトが読み取れる。

全体として、希望的な視点を感じ取ることができる。現実に是非を問う第5話だけでなく、起こったことに対処していく人々を追う姿勢や、人物が安心したり、理解し合うこと、最終話をコメディ的な側面を持った作品にしてみせることなどなど。

以下、各話の感想や考察など。見始めてから見終わるまでに2ヶ月かかったのは反省ものだが、どの話も鮮明に覚えている。

1.ある運命に関する物語 5月5日
科学的に不確かなものを信じない父親と2人で暮らすパヴェウ。パヴェウは母親が遠い地で何の夢を見ているか、答えられない。

死・夢といった計測や予測の対象から外れるものを通して、科学の崇拝へ警鐘を鳴らす。

2.ある選択に関する物語 5月7日
人間の言葉が「生か死か」を決めるのではなく、「生のあり方」を決める。ラストのアンジェイの質問に、医師は確かに答える。

3.あるクリスマス・イブに関する物語 5月9日
愛と狂言と決別。暗示的な意味合いは少ないが、一晩の放浪の顛末が面白い。

4.ある父と娘に関する物語 6月11日
血が繋がってなかろうが、親子愛を超えた愛情を抱いてようが、関係ない。子供を大切にする心と親を敬う心があれば、何よりも強固な家族関係になれる。

5.ある殺人に関する物語 6月12日
死刑制度の是非を問う映画。明らかにこれまでとは異なる方向性のメッセージ。

自分のすることに意味はあるのかと自問するように悪行を繰り返す青年。その動機は後半で明らかになるのだが、前半ではその過程を主だって映し出す。例えば、トイレの溝にはめられた男はキレるが、青年が食べ物を窓に飛ばした際、女の子たちは笑う。結果は異なるが、過程は一緒である。その後の殺人も同様だ。

後半では監督の死刑制度への反対がはっきりと描写される。憎い。死刑制度が憎い。無垢な新米弁護士にその直接的な思いがのせられる。

本作は十戒の「殺してはならない」に該当するわけだが、当然それは2つの殺人を指す。他の話とはうってかわって、社会派な内容だった。

6.ある愛に関する物語 6月25日
なるほど、「姦淫してはならない」に該当するのか。愛のない恋愛と愛に満ちた失恋が対比的に描かれる。効果的な手持ち撮影により、キャラクターの視線を追っていくことで、最後まで彼らの心情についていける。

再編集版(86分)では最後に追加シーンがあるらしい。二人の関係の継続を示唆するラストになるらしいが、こちら(60分版)の方が潔く区切られ、好しく思える。

7.ある告白に関する物語 6月25日
「自分のものを盗めるの?」のセリフが象徴する、血縁の問題。エヴァはまだ子供が欲しかったが、マイカを産み不妊となってしまった過去を引きずり、望まない妊娠によって産まれたマイカの娘のアンカを戸籍すら改変し、自分の娘にする。マイカはアンカを自分の娘として取り戻したいが、母親になるには未熟な点が多い。(これは、夢にうなされる娘の力になれない、自分の不安だけを取り除こうとする等から読み取れる)

最後、万策尽きたマイカは一人旅立ち、決別を察したアンカは電車を追いかける。エヴァとマイカの対立に終始振り回されていたアンカが、初めて能動的に行動を起こすシーンである。マイカ視点で話が進んでいたことを考えると、切ないシーンではあるが、踏ん切りを付けるところまで描かれたことを踏まえると、希望的とも考えられる。

もっといえば、第7話そのものの方向性も希望的とは言えないだろうか。こじれた家族関係の原因、つまり望まない妊娠を取り上げるのではなく、起こってしまったことに対して、どのような未来があるか、という方向へ物語が進むことを見過ごしてはならない。

8.ある過去に関する物語 6月29日
タイトルの「過去」は3人のものだろう。(この話意外にも、テーマに選ばれたことが複数の事象に及んでいることもある。)それらが交差するラストに、静かに胸を打たれる。

成長したエルジュビェタを見ただけで悟る仕立て屋の主人。語らないと決めた主人の意思を尊重し引き返すことにしたエルジュビェタ。それを予測していたように外で待っていたゾフィア。エルジュビェタとゾフィアに窓から視線を送る主人。

また、第8話にして初めて、『デカローグ』全体の主題にも(間接的にだが)言及される。それは講義の中で出てきた話が、同じアパートに住んでいる人の実話だという2人の会話から読み取れる。つまり、小さな空間でも多様なことが起こっている、拡大解釈すれば、『デカローグ』の舞台はこの世界を縮小した図であるということだ。

9.ある孤独に関する物語 7月1日
第7話で、物語の方向性が起こったことへの対処にある、と書いたが、多くの物語がそうであると気づかされる。

男は妻の浮気現場を突き止めるが、復讐を望んだり妻を責めるなどの攻撃性はない。どこまでも内省的で、自分に原因を求め、どこか助けを求めている。妻も罪悪感や夫の脆さに気づいたことから、改心をする。

普遍的なテーマを掘り下げるが、希望的な観点からは外れない監督の切り口に、心を奪われる。最終話のタイトルは『ある希望に関する物語』。これ以上ない最終回となることだろう。

10.ある希望に関する物語 7月4日
最終話にして異色で、どこか可笑しくもある。「隣人の財産を欲してはならない」に該当することを踏まえれば、ブラックコメディとも捉えられる。ラストが微笑ましい。結果的に、父親が残したものは希望であった。
フワッティー

フワッティー