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スモークのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

スモーク(1995年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

1990年のブルックリン。14年間毎日、同じ時間に同じ場所で写真を撮り続けるタバコ屋店主のオーギー・レン。彼が営む街角の小さなタバコ屋には、いつも常連客が集まり他愛ない話で盛り上がる…。

タバコ屋の店主オーギーを中心に、様々な人物の心温まる物語が展開される人間ドラマの傑作。
人間は嘘をつかずには生きていけない生き物だが、本作は全編が「優しい嘘」で貫かれている。
その嘘の裏側に見える、人々の優しい心根が感じられる作品だ。

数年前に最愛の妻を亡くして以来、仕事が手につかない煙草屋の常連ポールは作家。
架空の物語の創作は、当然嘘をつくこと。
現実に打ちのめされ、嘘がつくこと(創作)が出来なくなった男だ。
ある日、ポールが不注意で車に轢かれそうになったところをラシードという黒人少年が救う。
感謝したポールはラシードを自分の家に泊めるが、強盗が落とした大金を拾ったために命を狙われている彼は偽名を使う。
過去にオーギーを裏切り、別の男と結婚した恋人ルビーは、「アンタとの間に出来た娘が大変だ」と嘘をつき、オーギーの優しさに頼る。
ラシードは生き別れになった父親を発見し、彼に近づくために、また偽名を使う。
そして、オーギーは書けなくなったポールのためにとっておきの嘘をプレゼントする…。

軸になる人物がどんどん変わっていくが、エピソードが絡み合って、一つの映画になっている脚本構成が素晴らしい。
しかも、どれも心温まるイイ話。
大事件ではなく、少し切ない話ばかりで、良く思いついたモノだと感心する。
まるでオー・ヘンリーの短編集を続けて読むが如き、文学的味わいすらある。

本作は「嘘は良くないことだ!」などとキッパリと否定はしない。
真実が全て良いこととは限らないからだ。
人との関わりの中で大切なのは、嘘をも受け入れることができる器の大きさなのだ、と映画は言いたいに違いない。

「スモーク」とは当然だがタバコのこと。
タバコは身体に悪い害であるが、タバコも嘘も害なのだと断絶せず、辛い人生の中でほんの僅かな時間だけ、上手に受け入れる大らかな度量があれば、人生は豊かになるものだ。
とても洒落た比喩のタイトルである。

特にラストのオーギーの嘘は秀逸である。
財布を落として逃げ去った万引き犯の自宅を訪ねると、盲目のお婆さんがいた。彼女は俺を息子と勘違いした。俺はとっさに息子のフリをした。そして、お婆さんとクリスマスを祝った。
お婆さんとオーギーがお互い嘘だとわかっていながらの交流は、トム・ウェイツのノスタルジックな音楽も相まって、温かく、そしてほろ苦く、胸に迫る。

余談ではあるが、私は喫煙者だ。
近頃の嫌煙の世の中、風当たりはキツい。
臭い消しに消臭スプレーやマウスウォッシュは常備している。
単なる5分〜10分の休憩。
次の仕事に集中するためのリフレッシュなのだが、タバコを吸う分、他人より休憩が多いと非難されることもある。
何と度量の狭い世の中になったことか。

だが、そんな堅苦しい世の中で、この映画のように一服する僅かの間に喫煙所で取り交わされる小噺や交流を、私は捨てる気になどなれない。
オーギーの写真のように、同じ場所でタバコを吸いながらも、いつもとは違う視点が得られるからだ。
一服する間、季節の移ろいや空や雲の変化を眺め、自分の立場と存在を確認できる。
そして喫煙者は、他にその場に誰かいたなら、タバコを1本吸い終わるまでに、本作のようにちょっとした話にオチをつけたがるものだ。
喫煙者ならば、よりこの作品の深みが分かるだろう。
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