ケンヤム

スモークのケンヤムのレビュー・感想・評価

スモーク(1995年製作の映画)
4.6
久しぶりに心温まる映画を観た。

突き詰めていえば、世の中には「愛」と「暴力」のどちらかしか存在しないと思う。
ということは、映画も「愛」を描く映画か、「暴力」を描く映画しか存在し得ない。
この映画は、徹底的に「愛」を描いた映画だ。

この映画を観て、愛という人間の感情には多様性があるということを感じた。
私たちが「愛」という言葉でひとくくりにしているものの構造は複雑で、友情であったり、恋であったり、親子愛であったりする。
それが、絡み合い、互いに作用しあってそれぞれの愛を補完しあっている。
この映画のように、友情が親子愛を復活させることもあるし、恋人への愛が娘への愛情へと、転化したりもする。
「愛」を描くということはそういうことだ。
愛の多様性を受け入れて、複雑に絡み合う様子を描かなければ、「愛」を描いたことにはならない。
この映画はそれをやったから、陳腐なラブストーリーやホームドラマを観た後のように、ファンタジーの世界の話に心が留まることなく、この映画の世界と私たちの住んでいる現実世界とがリンクして、心を動かすのだろう。

そして、ウェイン・ワンは愛にとって一番大切なものを描くことも忘れなかった。
すべての愛の源「母性愛」である。
人間が最初に学ぶ愛が母性愛だ。
私たちは、母から受けた愛情を模倣しながら、友情や恋や師弟愛に転化させていく。
人生の中で経験するすべての愛が、母性愛を元にしているといっても過言ではない。

タバコ屋で万引きをした少年の落とした財布を、少年の実家に届けにいくタバコ屋の店主。
何年も会いに来ない息子が、帰ってきたと勘違いする母。
嘘をついて息子のふりをするタバコ屋の店主。
その嘘に気づかないふりをしてパーティーを始める母。

タバコ屋の店主と万引き少年の母のすべての行動に「愛」を感じられる。
そして、母からの愛はすべて母性愛。それは許す心。
帰って来ない息子を許し、嘘をつくタバコ屋の店主を許す。
カメラを盗んだことをもし、この母が知ってもたとしても許すのだろう。

世界平和を!とか、そんな非現実的な話ではなく、まずは隣の人を愛することから、始まる。
そうすれば、世界が平和になるとは言い切れないけれど、最低でも自分の半径100メートルぐらいは平和になるんじゃないかと思う。
「それでいいじゃないか」とこの映画は思わせてくれる。
現実にほだされて、心が殺伐としてきたらもう一回観よう。
ケンヤム

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