あんじょーら

ダークナイトのあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

ダークナイト(2008年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ゴッサム・シティーという架空の治安が大変悪い都市が舞台で、大富豪青年実業家であり、1人自警団のようなヒーロー、バットマンでもあるブルース(クリスチャン・ベール)は警部補ゴードン(ゲイリー・オールドマン)と協力して街の治安を回復するべく日夜努力を続けている。そんな中、マスクを被った男たちが銀行強盗を行っていた、仲間を殺しながら。最後に残った男は、ピエロのようなメイクを施した男ジョーカー(ヒース・レジャー)。ジョーカーには常識という概念が無いかのように、次々と手段を選ばない行為が行われていきます。それは恐ろしくもありますが、それだけでなく日常がいかに暗黙の了解によって成り立っているか?を突きつけてきます。そんなジョーカーの出現に、治安を乱すギャングも、取り締まる警官も、秩序を乱されていくのですが・・・


まず、バットマンというヒーローが、生身の人間であり、超能力を有したいわゆる正義の塊ではない、人間である、というところが、最近の流行でもあると思いますが、ドラマに奥行きを持たせる設定になっていて面白く感じました。私の子供のころは勧善懲悪な世界が(ウルトラマンや仮面ライダーとか)広がっていましたが、より現実に即した感じで(最初に意識し出したのはやはりガンダムのアムロでしょうか?エヴァの世界もそうですよね)、良いと思います。善を行う行為の中に悪が含まれる可能性を常に意識させられ、自意識の葛藤を深く描くのはやはり面白いです。所詮善対善の世界(自分の側には自分なりの善がある)でしかないわけですし。


そのうえでのジョーカーの存在が、演じているヒース・レジャーの迫力も相まって圧倒的存在感です。このジョーカーとバットマンの対峙というかコインの裏表感が非常に面白く感じました。ジョーカーは何事にも価値を認めず、相手にその刷り込まれた価値の本当の意味を考えさせる存在として、刷り込みの暴き手として描かれています。当たり前ですが、刷り込みがあるからこそ、普通の社会通念や常識があるのですが、その根底に疑いを持たせ、その欺瞞性を突いて来ます。そしてバットマンを強く悩ませます。バットマンに選択を強いる形になるのです。常にジョーカーが能動的であって、バットマンは受動的なのです。引用になってしまいますが、全くの同感だったので引用すると、宇多丸氏も、ある行為の後の清々しく風にそよぐ、パトカーから顔を出したジョーカーの顔が素晴らしかったです。


ジョーカーの言葉や行動がほとんど読めないうえに、整合性が無いにも関わらず説得力があったり、考えさせられたりするのがとにかく面白かったです。架空の都市ゴッサム・シティーに起こる騒動を非常にシリアスに描いた傑作だと思いました。


シリアスなヒーローものに興味のある方に、演技に圧倒されたい、と言う方にオススメ致します。





アテンションプリーズ!


基本はネタバレなしで感想にまとめたいのですが、いくつか気になる部分があって、ネタバレがあります。できれば映画を見られた方に読んでいただきたいです。





























確かにジョーカーは素晴らしいんですが、ところどころ気になる部分もあって、1番の違和感はバットマンは確かに悩むんですけど(結果ジョーカーに対して暴力を持ってまで自分の意向に沿わせようとしたり)、そこまでゴッサム・シティーの治安にこだわる部分がどうも掴めませんでした。常に謎な存在であるバットマンであることで居続けることが、ゴッサム・シティーの治安よりも優先しかねないように見えてしまいかねないですし、ゴッサム・シティーの治安にそこまで固執することの理由が希薄だったように感じました。だからこそ、最後の相互の船の爆破の解決に、ご都合主義的な結末の作為を、落としどころの安易さを感じます。乗船者の判断にバットマンの存在の何かしらの波及を感じさせないのです。一方は(囚人の方)自身の信念を感じさせますが、投票まで行っても押すことが出来なかったのは、まさに自分の為であってそれを糾弾できなかった市民、という構図をより深めてしまっているとも思うのです。


そして、本当の正義の担い手でありえたハービー・デントがどうしても悪に「落ちた」感じがしないんです。公的な判断ではなく、私的な判断で、私怨での判決(コインの運で)を求めるようになったことを悪に落ちたとは考えにくいのです。私が日本人であるからなのかもしれませんし、アメリカ人の感覚では違っているのかもしれませんが、ハービー・デントは、元々正義を行って(たまたま、とも言えるくらい)はいましたが、それは彼本人の「したい」ことだっただけで、その時からコインを判断(このスタイルはどうしても先に見てしまった「ノーカントリー」のアントン・シガーが被ってしまいます、原作からそうだったとしてもですが)に使っていましたし、両方が表のコインであったとしても、それが彼の流儀、と言う風に判断できてしまいました。だからこそ、トゥーフェイスとして私怨を晴らそうとしても、本人の流儀を貫いている結果(コインに裏が出来ようとも)にしか見えなかったので、あまり正義→悪という風に(見た目はたしかにキツいですが、正直見た目は変わらなかった方がよほど恐怖はあったと私は思います、生身の人間が1番恐ろしいんですよね、という捉え方が出来たと思いますし、その上で役者さんの表情とかで悪と分からせた方が効果的なんではなかったでしょうか?)変わってしまった、と感じなかったです。


で、その上死に方があっけなさ過ぎですし、その死はアクシデントであって、殺した(正義の履行の為)というものが無かったのにも関わらず、ゴードンとバットマンはその死を心の重荷として感じ、さらに背負うことでそれを知っている観客により精神的高潔さをアピールしているように見えて、そこが残念。まるで気取っているかのように感じさせます、ただ、そこまでの間にバットマンとゴードンのどちらかに観客の心を投影させてみせる(バットマンかゴードンに感情移入出来ていれば、確かに心地よい感覚でしょうから)、という意気込みというか、自信なのかもしれませんが。


あと、小さいことですけど、レイチェルの手紙、私はバットマンに渡した方が良かったと思うんですけど。どうなんでしょう?


果たしてバットマンはジョーカーに勝った、と言えるのでしょうか?ジョーカーを捉えるために自身の信念を曲げ、ソナー兵器を(プライバシーを損なう兵器)まで用いたこの後の世界、ジョーカーを模した人間が出てくるであろう世界を秩序立てる術はどこにあるのでしょうか?少し見てみたい気がします。


私はゴードンの立ち位置に、なかなか面白いものがあると感じましたし、ゲイリー・オールドマンも良い演技だったと思います、キャスティングが上手かったと思いました。