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女ばかりの夜のzhenli13のレビュー・感想・評価

女ばかりの夜(1961年製作の映画)
4.0
菅野優香『クィア・シネマ 世界と時間に別の仕方で存在するために』(フィルムアート社)で本作の浪花千栄子演ずる梅毒患者でレズビアンの元老妾・亀寿について言及しているのを読んでから気になっていた作品。
おさげ三つ編み姿で強烈な印象をもって登場する浪花千栄子はのっけから同部屋の若い寮生を撫で回してキスする。そういうシーンがさらっとインサートされている。何の注釈も否定的な立場をとる者も無く、1961年公開作品としてかなり画期的だが当時は敢然と透明化されたに違いない。
彼女はコメディリリーフ的な役回りでありつつ悲劇が用意されている。その意味ではセクシャルマイノリティによく与えられる設定だけど『クィア・シネマ』にもあるように浪花千栄子もこの映画に登場するあらゆる女性の様相のひとつとして表される。本書の言葉をひくと「異質性をも女性の間にある差異のひとつとして受け入れる共同体、それ自体が非均質な共同体を映画内共同体として出現」させている。

その非均質性はひとりの人間の中にも見られる。本作で焦点が当てられる原知佐子は酒屋、工場、薔薇園の三度の就職でそれぞれ別人かのような態度をみせる。赤線にいて保護寮出身であることの一般市民の反応を危惧するがゆえのそれぞれの場での選択的な態度だろうが、彼女自身もまた均質ではないがそれぞれ分断されてもいないスペクトラムとして見ることができる。
また原知佐子を擁護する白菊婦人寮長の淡島千景には絶対的な揺るぎない信念があるかというと、そうでもない。工場の女性たちから性的暴力を振るわれた原と淡島千景が対話するシーンで「体を売ることが何故いけないのか」という問いに淡島は「わからない」としか答えない。「婦人を更生させる」という立場でありながらその揺らぎを隠さない。
このシーンは重要だ。原は赤線にいた自分と、素人だけど遊びで体を売り恋人を交換する女性たちの差異は何なのかとも述べる。ひとりの人間を非均質な連続体として提示するとともに、施行されたばかりの売春防止法に対する大きな疑問符を呈し、その法律下では買う方は罰せられないという矛盾と「男を更生させたらいい」という台詞は、性差における圧倒的な不均衡をも表している。
原知佐子は海女という職を選び、やはり女性の共同体に身を置き続けることは『クィア・シネマ』にも示されている。観ながらふと、海水に身体を浸すことは体を浄化するような感覚かもしれないなどと思った。

成瀬作品のバイプレイヤー中北千枝子が群を抜いて好かった。階段上からの迫り来るアップよ。
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