Jeffrey

ざくろの色のJeffreyのレビュー・感想・評価

ざくろの色(1971年製作の映画)
5.0
「ざくろの色」

〜最初に一言、静物画な美しさを放ち、また神秘的で謎めいた儀式性の様式美の面でタルコフスキーの「鏡」と並び称される初期の傑作である。この作品は内世界をも隠喩、暗喩の形で映しだし耽美的な至上のフィルム詩集である。この映画に説明を求めた人間は観客としてふさわしくないと言えるほど目、耳、感触、嗅覚で体感する忍耐強く五感を研ぎすます力を持った人物のための映画である。正に絵画が動き出した映画のモニュメント的最初の1本目である〜

本作は18世紀のアルメニアの詩人サヤト・ノヴァの生涯にオマージュを捧げた八章の美しい映像詩編であり、グルジア(ジョージア)ん映画作家セルゲイ・パラジャーノフのフィルモグラフィの中でも最大級レベルの傑作で、大好きな映画をこの度4Kオリジナル版によって復元された映像魔術のBDにて再鑑賞したが面白い。というのもYouTubeでパラジャーノフ特集をしようと思い(タルコフスキーと同時に)今回改めて見たが、やはり文句のつけどころがないほどに素晴らしいの一言。絵画的で神秘的、そして幻想的な世界観はタルコフスキーとよく並べられるが、感情等を映像語源で描いているのが彼の特徴である。1982年にゴダールが監督した「パッション」と言う作品は本作からインスパイアされているそうだ。


この作品は、一般公開され、DVD化されていた、そのロシアバージョンに対してオリジナル盤に近づけるべく、アメリカのマーティン・スコセッシ映画財団が復元したアルメニア・バージョンであり、いくつものシーンの差し替えや未公開部分が加えられ、パラジャーノフの意図に沿った編集が施され、完成版は2014年のカンヌ国際映画祭で披露されたが、これまで日本で上映されることがなかったため、初めてその全貌が見ることができるとされているモニュメント的な円盤である。今思えばパラジャーノフら1924年に生まれ、1990年に亡くなっていることを考えると、この数字を見るだけで、日本の監督鈴木清順とほぼ同じ世代にあたるなと感じるのである。そうすると鈴木監督は長生きしたなと思うのだ。鈴木清順と言えば大正時代に生まれた監督でもある。

ところで、パラジャーノフはアルメニア系の生まれで、ソ連の首都モスクワの国立映画学校で、優れた監督サフチェンコについて、映画の勉強をしていたが、サフチェンコには1930年代の初めに「ガルモン」と言う大胆極まりないミュージカル映画があったが、パラジャーノフがそうした音響処理から多くを学んでいたんだなと思うのである。彼が卒業後、ウクライナのキエフ撮影所で晩年のドヴジェンコに師事し、そこで「火の馬」を撮り、その後アルメニアに戻ってきたり、グルジアに行ったりしながら、映画の活動をしていた人物で、どこかソ連とずれたところがあると蓮實重彦氏が「ざくろの色」の試写会の時に言っていたことを思い出す。ちなみに1935年は、革命期のソ連の映画が死んだ年であり、それが蘇ったのがゴルバチョフが改革を起こした1985年のことである。その時代に、一応35年に死んだソ連映画が生き返った記念すべき年である。それ以前の60年代の雪解けの時期に、ソ連映画の廃墟のような時代が崩れ始めると言う時に出てきた3人の作家のうちの1人がパラジャーノフであり残りの2人がタルコフスキーとコンチャロフスキーである。

彼らの出現によって、それまでのソ連映画がなかなか作れなかったような映画、画面の質感と言うものが濃厚で、構図も見事であり、観客を魅了していくことになるのだ。ところが先ほども言ったように、パラジャーノフが生涯においてほとんどの作品をとっていない作家である。それは70年代に彼が投獄されて、投獄生活から解放されたのが70年代半ばだったからだ。そもそも、1970年代は、世界の映画界が、経済的にいっても、芸術的な価値と言う点からしても1番危うい時代だった時で、パラジャーノフはその70年代を通じて、1本も映画を撮っていないと言う事実がまずある。これが大きな打撃の要因の1つである。だがその問題はソ連だけではなく、黒澤明も国内では「どですかでん」の1本だけで、75年にそれこそソ連映画としてアカデミー賞外国語映画賞受賞した黒澤監督の「デルス・ウザーラ」があるのみである。

もっと言えば、先ほども名前を挙げた鈴木清順も1本撮っただけである。因みに77年に大和屋の脚本で製作された「悲愁物語」だけで、その後の80年にアートシアターギルドから配給され、日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞し、アメリカでも大ヒットした大正ロマン三部作の一作目、「ツィゴイネルワイゼン」である。鈴木清順に関しては60年代は大量に映画をとっていたのに、70年代に入ってたったの1本しか撮ってないと言うのは改めて驚きである。80年代に入ってからは何本か作り始めているが…。そう考えると、才能豊かで、個性的で、自分自身の主張をきちんと持っている映画人にとって70年代は非常に良い作品が撮りにくい時代だったんだろうなと思ってしまうのだ。そうした映画史的な現実を自分自身で象徴するかのように、パラジャーノフはその時期、1本も映画を撮ることができなかったと言うことなんだろう。なんといっても生涯でたったの4本の長編しか撮っていないのだから非常に貴重である。だから、最後の作品となった「アシク・ケリブ」は彼にとっては非常に自由を持って撮れたんじゃないかと推測する。

さて、物語は18世紀のアルメニアの詩人サヤト・ノヴァの生涯にそい、映画が8章の映像詩編で作られる。第一章、詩人の幼年時代…雷雨に濡れた膨大な書物を干して乾かす日常の風景。幼いサヤトの、書物への愛の芽生え。第二章、詩人の青年時代…宮廷詩人となったサヤトは王妃と恋をする。彼は琴の才能さに秀で、愛の詩を捧げる。第3章、王の館…王は狩りに出かけ、神に祈りが捧げられる。王妃との悲恋は、詩人を死の予感で満たす。第四章、修道院…詩人は修道院に幽閉された。そこにあるのは婚礼の喜び、宴の聖歌、そしてカザロス大司教の崩御の悲しみ。第五章、詩人の夢…夢の中には全ての過去がある。幼い詩人、両親、王妃がいる。第六章、詩人の老年時代…彼のまなざしは涙に閉ざされ、理性は熱に浮かされた。心傷つき、彼はて寺院を去る。第七章、死の天使との出会い…死神が詩人の胸を血で汚す、それともそれはざくろの汁か。第八章、詩人の死、詩人は死に、彼方へと続く1本の道を手探りで進む。だが肉体が滅びても、その詩才は不滅なのだ。

この映画は18世紀アルメニアの偉大な詩人サヤト・ノヴァの伝記では無く、ただロシアの詩人ブリューソフが忠誠アルメニアの叙事詩は、世界における人間精神の、最も素晴らしい勝利の1つである、と。述べたような詩的世界のイメージを。映画と言う手段で伝えようとしたのだ。わが生と魂は苦悩の中にある…と冒頭の出だしはこんな感じで字幕がつく。それに続いて第1章から第8章まで字幕が付いて行く。パラジャーノフはソビエトの映画作家になっているが、もともと彼はロシア民族ではなく、アルメニア人の両親から生まれ、そしてウクライナとグルジア共和国と言う2つの地帯で少年時代を送っている特質な人生を歩んでいる人物である。ロシアとは違うけれども、ソビエトで創作活動を行った作家と言うとても複雑な立ち位置にある作家である。

私がソビエトの作品が好きな理由の1つに、一言で語れないところがあるからだ。何が言いたいかと言うと、ソビエトは、南には昔のメソポタミアの文明、つまり今のイラクやシリア、トルコ、イラン、ペルシャ文明につながる世界があり、西へ行くと、白ロシア、ウクライナとかロシア民族とは異質な世界が広がっているのだ。これは中沢新一氏も"カフカズに蘇るアバンギャルド"に寄稿していた。ちなみに言うと、キリスト教になってしまった最初の国はローマかと思われているが、アルメニアが世界最古のキリスト教国である事は豆知識として覚えておいていいのかもしれない。アルメニアの方が12年早いらしい。しかし、そのキリスト教は、我々が知っているどのキリスト教とも似ていないようだ。ローマで発生したカソリックがどんどんヨーロッパに広がっていて、その中からプロテスタントと言うキリスト教が生まれたのだ。

もう一つ重要なキリスト教の世界が、ギリシャ正教とか、ロシア正教と言われている世界だそうだ。これはギリシャとロシアで発達し、東のほうのキリスト教と呼ばれ、いろいろ違うところを持っているようだ。しかもそれは人間の文明とか芸術に非常に深い影響与えてきたにもかかわらず、我々は長い間、そのキリスト教のことを知らなかったとされている。改めてこの作品を見るとイスラム的絵画的世界観が非常に伝わってくる。何が言いたいかと言うと、監督はアルメニア人だから、ペルシャ文明や、イラク、シリア、トルコのイスラム世界とも深いつながりを持っており、その美意識はロシア人の芸術とは全く違う質を表しているからだ。だからこの作品はどの作品とも類似しない唯一無二の作品なんだなと思うのだ。これはきっとこの作品をまだ見てない方が鑑賞して最初に湧き上がる感想の1つになるのではないだろうか。

だからマフマルバフの「ギャべ」が本作の映画に似たり寄ったりなんだなと言うのは非常にわかるのだ。間違いなく彼もこの作品にインスパイアされた監督の1人だ。「ざくろの色」は混在的に持っていてほとんど気づかれなかった可能性を表に引き出してくれるような作品であり、音楽を聴くように身を任せてしまう力を持っている。言葉と言う情報に支配されず、音楽を聴くように直感に身を任せて堪能できる、新しい表現で作り出された最高映像美作品である。これぞ第7の芸術の本領発揮と言う所だろう。特に音楽が素晴らしい。これは本作だけではなくパラジャーノフが作り出す作品には非常に音楽が独特の技術で取り入れられ、新鮮に聴こえてくる。音楽好きの方が見ても楽しめる映画である事は間違いない。といっても、娯楽映画ではなく人を選ぶ作品だから、見て拍子抜けする人もいるかもしれないが、この美意識の高さは感じ取れるはずだ。



いゃ〜、久々に見たけど強烈なカリスマ性を感じ取れる。残された作品の衝撃的な美しさと言う点では最高レベルだ。前世紀最大の映画作家の1人として数えてもおかしくない。彼は20年以上にも渡ソビエト権力からの迫害に侮辱と嘲笑を送り続け、苦労するがその映画芸術性は劣ることなくめくるめくイマジネーションの飛躍を続けた偉大な芸術家である事は言うまでもない。冒頭から魅了される。白い布の上に置かれた2つのざくろ。それが染み込んでいく瞬間、ナイフと小魚が並べられるテーブル、少年が大きな本を片手にはしごを登りその次の瞬間、屋根の上に開かれた書籍がたくさん羅列されている頭上ショット、次から次えと変わる独特なカット割り、絨毯をたわしで洗う女たち、伝統的な衣装、仕事現場、左右に揺れるカーペット、色彩を染めるカット、鶏のグロテスクなショット、数々の絵画のカット…。

それにしてもエキゾチックな音楽と詩情が織り成す魅惑の映像体験は豪華絢爛で、物語や背後の意味にとらわれず、そこに写し出される美そのものに心身を委ねている感覚に陥る。この色彩の美しさは群を抜いている。惜しくも私の生まれた91年の前年の90年の7月20日に66歳の生涯を閉じたパラジャーノフの最高傑作である。彼はアルメニア人の両親のもとにグルジアの首都トビリシに生まれたが、彼の民族的自由思想は、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナをひと跨ぎにして異種文化の美を彼のフィルム=カンヴァスに統合してしまう。キリスト教アルメニアとイスラム教アゼルバイジャンの熾烈を極めた血なまぐさい紛争や、偏狭な民族意識は、彼の自由思想とは全く別のものなのである事は言われている。本作は、18世紀の有名な詩人の生涯にオマージュを捧げた美しい映像詩である。決して伝記ではなく、その時代の人々の情熱や感情をセリフのほとんどない映像言語で描いているのが特徴の1つである。

そもそも舞台13世紀の修道院にしているのがすごい。静的な映像に仕上がっているし、ゴダールがインスパイアされたと言っているのも頷ける。そろそろ書くこともなくなってきたか、グルジア映画を見ると、いつもグルジア人の独立心の強さが感じ取れる。そもそも、トルコやペルシャ等のイスラム教徒に次々と侵略され、それまでの地中海文化を基盤にした独特のグルジア文化は、イスラム的なものへと変質されていってしまい、それがキリスト教徒イスラム教のグルジアの歴史が複雑であっただけに、現在でもグルジア内に民族対立を残す結果となってしまっている悲劇的な事柄を思い出してしまう。前に紹介したピロスマニを題材にした「放浪の画家」と言う作品を紹介したが、マルコポーロが絵に描いたような美しい街と首都トビリシを言ったように、この作品も本当に美しいのでお勧めする。


とにかくこの作品をまだ見てない方にはお勧めする。何よりこの映画を特徴づけるのは、静止画のような撮影方法であり、登場人物が正面を向くか横顔を見せるかで、若き日の詩人と恋人の感情のやりとりもうまく描き、2人が同じフレームに入る事はないと言うスタンスをとり、画面は古典画のようだったり、印象派のようだったり、またコラージュ的、モダンアートのようだったり自由自在に汲み取られる作者の純粋なビジョンセンスに惹きつけられる。最後に余談だが、パラジャーノフは日本の監督の黒澤明に会いたいといい、フェリーニとアントニオーニを尊敬していると言っていたそうだ。ちなみに彼には3つの名前がある。
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