現代の技術をもってすれば夢のようなディザスターが描けるのは当然だが、この映画のチープな特撮は極めて現実的な緊張感を醸し出していて、「伝聞」の世代には到底描けないリアルな皮膚感覚になっている。
それは原作の小松左京による巧みなリアリティラインの下支えのもと関東大震災から50年、終戦から28年、まさに人の命がゴミカスの様に翻弄されてしまった世界をその目でその耳でその肌で体感してきた人たちがその記憶をパッケージするようにつくっているからだ。
現代のセオリー的には冗長を防ぐために間引くべきコマや、フォーカスをはっきりさせるために必要のない演出の数々が、草葉の陰でそのリアリティを肉付けしている。「どのように」描写したかという視点ではなく「なにを」描写したのかという点でこの映画は潤沢な現代映画に勝るキリキリとした迫力を醸し出すことに成功している。
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前情報なく観たので驚いたが、プレートテクトニクスの説明がかなり親切。今日現在において学会の外でもこの理論がカジュアルに知れ渡っていることは間違いなくこの映画の影響が大きいだろう。
レナードの朝ではデニーロとロビンウィリアムズの名演によってパーキンソン症候群への理解を社会へと促している。日本沈没はあくまで建てつけ上それほど写実的な訳ではないのだが、こういった裏打ちを(わざわざ専門家を出演させて!)しっかりと鑑賞させる誠実さに胆力を感じる。
偉大な作家が発端となった日本史上のメルクマールである本SFが訴えかけてくるのは(どんな作品だって大なり小なりはそうなんだが)余りにも切実でリアルな史実への直視と未来への憂慮だろう。